第1部 シンデレラ・キッズE

2006.03.26
 ☆夢物語☆    代替出場で全米を制す 
 
1944年の全米大学選手権で優勝し、喜ぶユタ大選手(ユタ大提供)

 「映画にしたいって話が今もあるんだよ」と誇らしげに言った。ワット(本名ワタル)・ミサカ(82)との会話は最後にいつも、一九四四(昭和十九)年の場面へ行き着く。同年三月、ユタ大が成し遂げた全米大学選手権(NCAA)優勝の快挙は、半世紀たっても語り継がれている。

★NITに出場

 米国の学生バスケットボール界には、NCAAと全米招待大学選手権(NIT)の二つの全国大会がある。当時のユタ大はNITに出場していた。1位を決めるポストシーズンの一次ラウンドへ進みニューヨークに滞在していた。

 初めての大都会に「おとぎ話みたい。マディソン・スクエア・ガーデンでプレーしただけで感動」と、すっかり満足だった。NITの決勝ラウンド進出は逃してしまった。後は、ニューヨークを観光してユタ州へ帰る予定だった。

 そこへ一通の電報が届いた。「試合をする気はないか」。同時期に開かれていたNCAAの決勝ラウンドに進んだアーカンソー大が交通事故に遭い辞退。代わりに出場できるチームを探していた。

 NCAA準決勝の会場はカンザスシティーだった。負ければ、そのままユタ州へ戻る。勝てば決勝はニューヨークだ。ミサカが提案した。「NCAAで勝ってから観光しよう」。チームの全員が「賛成」。見事に準決勝を勝ち上がった。

 再びニューヨークに戻ってのダートマス大との決勝は、延長へもつれ込んだ。残り3秒、ハーブ・ウイルキンソン(82)のシュートが決まった。42―40。身代わり出場チームが劇的な勝利を収めた。ユタ大の地元紙「ソルトレーク・テレグラム」は、チームを「シンデレラ・キッズ」と表現した。

 ユタ大は一年生主体だった。当時の学生選手は、軍から給料を得てプロのように活動するプレーヤーが主流だった。だが、ミサカのユタ大にそんな選手はいなかった。異色の学生チームでもあった。ウイルキンソンは「勝った時はあっけにとられたよ。誰も期待してなかったからね」と自慢する。

★奇跡的な偶然

 勉強するために大学へ入ったソルトレークシティー周辺の出身者ばかり。ミサカは後にエンジニア、ウイルキンソンが歯科医師になるなど、インテリ集団の側面もあった。ミサカは「同じ時代に同じ街にいたことが奇跡的な偶然だよ」と驚く。

 それまで、だれ一人、ミシシッピ川より東へ行ったこともない「田舎チーム」(ミサカ)が味わった一週間の夢物語。優勝を決め、ニューヨークのナイトクラブで飲んだ一杯のミルクは格別の味がしたという。<敬称略>



8月19〜24日 世界バスケ1次リーグ広島開催