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![]() 特 集 (03.3.17) | |||||||||||||||||
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舞に伝統の狩猟作法 「姿消したら元も子もない」
りょう線が空をV字に切る、宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)地 区。創建から五百年余り、ひなびた銀鏡神社は昨年暮れ、年に一度 の祝祭の夜神楽で華やいでいた。
太鼓や笛の調べが、風に乗る。社殿の前に設けた舞殿で、神社の 氏子に当たる祝子(ほうり)たちが体を翻す。はやし手の頭上に渡 した板に、目を閉じたイノシシの頭部が六つ並んでいる。地元のハ ンターたちが、獲物をはぐくんでくれた山の神にささげた、供え物 だという。 「山のもん(恵み)に感謝するのは、山に育った私らの務めで す」と三十代目の宮司、浜砂武俊さん(74)。生きる喜びと、犠牲へ の鎮魂と。一見きらびやかな国重要無形民俗文化財の夜神楽はあく まで、大祭行事(十二月十二~十六日)の一つにすぎない。 カメラのフラッシュが瞬く境内は、県内外からの観客約二百人で 埋まっていた。広島市から訪れた無職下畠信二さん(66)は「イノシ シの頭は、ちょっと気味悪い。だけど、しきたりにのっとった儀式 は、山の神と向かい合ってる気分になれる」と声を潜めた。 いてつくような冬の夜気の中、神楽は続く。三十三もの演目を舞 い終えたのは翌日の昼すぎ、開演から、実に十八時間がたってい た。 銀鏡地区には約千人が暮らす。平地が少なく、水田には向かな い。縄文時代から、焼き畑農業が盛んだった。森を切り開いては、 火を入れ、焼け跡にソバやヒエを作る繰り返し。「いい米がでけた ら、学校のグラウンドまで担いできて、驚き合うたとです」と祝子 の一人、浜砂重文さん(67)は懐かしむ。 イノシシを追い出す効果もあった焼き畑が、山火事の不安から二 十年ほど前に衰退。段々畑は一層、獣害の標的になった。実るそば から、食い荒らされる。駆除が必要になった。タンパク源にもなる イノシシを狩りで減らし、収穫の無事を待つ―。豊作の祈りは、深 みを増している。 終盤近くの出し物、シシトギリ舞いには狩りの作法が織り込まれ ている。弓矢を手に老夫婦がイノシシの足跡をたどり、猟師たちと 合図で包囲網を狭めてゆく、古式ゆかしいイノシシ猟の一部始終を まねる。 「今は弓の代わりに銃を使うが、狩りの手順は一緒。被害さえ出
なけりゃいい、という考え方も変わらない」と西都猟友会の銀鏡支
部長、浜砂清忠さん(65)。有害駆除に出ても、期間の半分は空砲で
追い払うだけ。「イノシシが姿を消したら、神楽も舞えんとです。
元も子もない」
大祭の最終日。神社近くの川岸に、大祭を取り仕切る宮人(みょ うじ)役の浜砂修照さん(65)たちが集まった。氷雨も構わず、供え たイノシシの頭をたき火にくべる。「暮らしぶりは変わっても、伝 統の心を廃らせたら、いけんとです」と修照さん。 イノシシとともに、生きる―。戒めにも似た決意に、銀鏡の人々
の心根を垣間見た気がする。
憎い敵 されど祭神 豊作と商売繁盛祈る ♪いーのこ いのこ いーのこもちついて いわわんものは…
甲高い、はやし声が軒先に響く。眼下に遠く、広島湾を臨む広島 県坂町の中村迫地区。毎年十一月、約百五十年前から引き継ぐ亥の 子祭りが繰り広げられる。 亥の子祭りは、多産のイノシシにあやかり、豊作や商売繁盛を祈 る祝いの行事。中国五県一円をはじめ、近畿や四国、九州の一部に 伝わる。 民家の玄関先。荒縄をくくり付けた重さ約十キロの石を、二十人 ほどの子どもが振り上げ、地面をつく。ついた穴に、清めの紙片を まく。家々から心付けを集めながら、地域中を回る。 「田畑を荒らすイノシシは、昔から好かれんかったろうに。何 で、祭神になれたんかね」。亥の子神楽保存会の正原利朗会長(52) が見やる山の手には、イノシシよけのトタン板が目立つ。 昨年、一行を迎えた会社員尾茂康国さん(54)の家は敷地をぐる り、さくで囲ってある。「憎い敵にまつわる亥の子石を招き入れ、 喜ぶのも複雑な気分」と苦笑い。 祭りの後、公民館で保存会メンバーが祝い酒を回す。「地域をつ なぐ亥の子はええが、イノシシはご免じゃの」。若手の声に、何人 かの年配者が応じた。「シシも子を産んで、生きんにゃいけん」 「相手の立場も見ちゃらんにゃあ」。ひと呼吸置いて、話の輪にま た、笑いが戻った。
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