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![]() 特 集 (03.5.29) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() ヘッドライトの逆光に、二頭のイノシシが浮かんだ。たてがみの ような剛毛、体重は百キロ近い。午後七時すぎ、神戸市中央区の異 人館通り付近。しょうしゃな教会や外国料理店が並ぶ、昼は華やか な街を、夜な夜な獣がうろつき歩く。 「山から毎晩、下りてな。お決まりのコースを歩きよる」。近く
の住民に聞いた彼らの「散歩道」を、たどってみた。
二頭は横断歩道を渡り、住宅街へ。路地裏で飼い犬がほえ立て る。家路を急ぐサラリーマンと擦れ違った。人間もイノシシも、素 知らぬ顔。そのまま商店街に抜け、めざす駐車場に入った。 「誰か知らんけど、餌やっとるんです」。駐車場に車を止めた若 いサラリーマンのそばで、二頭が茶わんの残飯をむさぼっている。 「晩にごみを出しに行こうと玄関あけたら、目の前にいることもあ る。けど、別に怖いイメージはないね」
◇◇ 神戸の街にイノシシが現れだしたのは一九七〇年代初め。六甲山 系の山すそを切り開いた団地の周辺をうろつき出した。「人間が餌 をやって招き寄せたんです。食べ物を人にもらう癖がついてしまっ た」。六〇年代から県内で野生動物の生態を研究する兵庫医科大の 朝日稔名誉教授(73)=生態学=は言う。 六甲山は、登山などで年間四百六十万人ほどの観光客でにぎわ う。弁当のおすそ分けや置き去りの残飯が、餌になった。餌付けで 人になれたイノシシは山を下り住宅地へと入っていった。 山辺に約七千世帯が暮らす市東部、東灘区の渦森(うずがもり) 台団地。「(幼獣の)ウリ坊がかわゆうてね。みんな家の窓から、 パンやらジャガイモやら放ってましたわ」。地区役員の永原隆憲さ ん(65)は、人獣のなれ合いの発端を振り返る。
神戸の市街地にイノシシが下りた原因は、まだある。生ごみだ。 市は二十年ほど前、家庭ごみを集めるため、街角に置いていた鉄 製コンテナを廃止。「通行の邪魔」という住民の声が理由だった。 野ざらしになったごみ集積場は、野生獣の餌場に変わった。 十年もすると、住民から苦情が出始めた。「夜中に集積場が食い 散らかされた」「家庭菜園がむちゃくちゃ」…。揚げ句、イノシシ が通行人の買い物袋を餌と勘違いして引っ張り、けがを負わすよう になった。 市に届くイノシシ関係の苦情は二〇〇〇年度、二百十一件に上っ た。市は〇一年度、朝日名誉教授を座長に、研究者や市民による 「イノシシ問題検討会」を設置。提言を基に〇二年五月、全国で初 めてイノシシの餌付けを禁ずる条例(通称イノシシ条例)を施行し た。 「餌付けをやめ、イノシシが街に出る原因を絶たな、あかんので す。街に来ても餌はないというように」と市農政計画課の長沢秀起 係長(44)。 市街地では銃による駆除に危険が伴う。罠(わな)で〇二年度、 過去最高の二百四十九頭を捕ったものの、イノシシが姿を消したわ けではない。餌付けの自粛やごみ出しマナーなどの住民学習に力を 注ぐべきだというのが市側の考えだ。 渦森台の住民は〇一年十二月、条例の施行に先立って勉強会を開 いた。「相手を知らんと手が打てん」とイノシシの目撃地点や風呂 場代わりのヌタ場などを地図に書き込み、小冊子にまとめて区内外 に配った。そのせいか、イノシシよけのネットを家庭菜園に張った り、夜間のごみ出しを控える住民も増えだした。 市全域でも、イノシシについての苦情件数が条例施行の〇二年度 には二百二十八件と、前年の二・三倍に増え、市民の問題意識の高 まりをうかがわせている。 「街へ来るな」と動物に言っても通じない。人間の側が、暮らし の中で行動や考えをあらためないと―。朝日名誉教授も神戸市も、 長年染み付いた「共存」関係をほどくには、時間がかかってもその 道しかない、と思い定めている。
三方を山々が囲む港町、人口約二十万人の呉市でも、イノシシと の摩擦が起き始めた。
市中心部から西に約三キロ離れた川原石地区。二〇〇二年秋、住 民十五人が西部地区猪(いのしし)被害連絡対策懇談会を立ち上げ た。「住民の暮らしを守るためなんよ」と懇談会の発起人、無職元 谷照男さん(66)。 異変は、五年ほど前に始まった。定年後に耕しだした、わずかな 畑を食い荒らす。駅に近いごみ集積場にも現れた。 地区内に急斜面が多く、「イノシシの掘り返しで地盤が崩れ、土 砂災害につながらないか」と危ぐする声も出る。実際、掘り返しの 土砂で用水路がふさがる問題も起きた。 懇談会の集会には、地区外からも参加者を募っている。獣害の実 態や対策の情報を交換しながら、住民の問題意識を高めるためだ。 会員の一人は懇談会の動きに力を得て、罠(わな)の狩猟免許を取得。地区 での捕獲作戦に乗り出した。 ところが今年三月、市内の別の地域で、小学生が誤って箱罠に入 り、閉じ込められる事故が起きた。市は慌てて、罠の設置先を記し た地図を小学校や保育所などに配り、注意を呼び掛けた。 農業被害と連動する、市内のイノシシ駆除数は一九九〇年度か ら、ほぼ年々増え続け、二〇〇〇年度には過去最高の五百五十頭を 記録した。七十四頭だった九〇年度の七・四倍。駆除用に市が買い 込んだ箱罠や捕獲さくは現在、合わせて百五十基にもなる。 「イノシシはあつかましくなるばかり。街中を平気な顔で歩かれ ちゃあ困るが、現場が増え、対応しきれなくなった」と市農林水産 課。五月から、猟友会の九人をイノシシ対策専門の臨時職員として 雇っている。罠の仕掛け方や田畑の防除法などの問い合わせに、現 地へ出向いて指導する態勢を強めている。
二〇〇二年十月、広島市西区の町中でイノシシ騒動が起きた。港 近くの市中央卸売市場界わい。山からは二キロほど離れ、間に国道 2号や広島電鉄、JRの線路も走っている。 警察署員が網で追い回し、約三時間がかりで捕まえたら、今度は 取り扱いに困った。田畑を荒らしたり、人身被害がない限り、「害 獣」扱いはできない。脚の骨が折れており、「山に返すのは無理」 と見立てた動物園が安楽死処分にした。 「田畑もない市街地に出没されると、手出しが難しい」と西区の 区政振興課。担当職員も、町中で野生のイノシシを見たのは、この 騒動が初めてだった。
市全域のイノシシ駆除数は右肩上がりで、〇二年度には千五十四 頭と、三年前の一・七倍に増えた。駆除頭数の九割強は山間部の多 い市北部で、デルタ地帯の中、南両区では捕獲ゼロ。山すそで団地 開発が進む西区では三十五頭だった。 「家の近くにイノシシがいるけど、危なくない?」。西区役所に かかる住民からの電話にここ数年、そんな相談が届く。団地住民の通勤ルートである己斐峠や近くのゴルフ練習場では、頻繁に姿を見せている。 「相手は野生の動物。人なれしないよう、餌をやらず、近寄らな
いで」。担当者は相談には、そんな風に答えている。
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