中国新聞

◇ 連載を終えて 読者の声◇

■ 寄稿・談話 ■
東和科学生物研究室室長
  下田 路子さん
猿回し、口上芸の「猿舞座」座長
  村崎 修二さん
島根県立大総合政策学部3回生
  鈴木 慎一さん
広島県立大非常勤講師
  林 勝治さん
「猪変(いへん)」

(03.6.11)

読者の声
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下田さん 東和科学生物研究室室長
   下田 路子さん
(52)=広島市中区

 獣害の現実 もっと知ろう

 大学生のころから、山間部で湿地の植物を調べている。土が湿り過ぎて木が生えない湿地には、日当たりのよい泥地がある。日本で一番小さなトンボとして知られるハッチョウトンボが飛び、食虫植物のモウセンゴケが生える、そんな泥地に浅い穴が掘られ、水たまりになっているのをよく見かける。周りのひづめ跡から、イノシシのヌタ場だと分かる。周りの山林に足跡が続き、イノシシが通ったあとの草や木に泥が付いている。

 山の中で、やっと見つけた小道をたどるうち、やぶの中を通るトンネルになって、イノシシ道だと気づくこともある。腹ばいになり、そのトンネルをくぐった時もあった。このようにイノシシの気配を感じながら過ごしてきたが、山で出くわしたことはなかった。

 ため池や水田、放棄水田などの植物も調べ歩く。やはりイノシシの気配が至るところにある。山沿いのため池は、水辺がヌタ場になっていた。広島県黒瀬町では、ほ場整備の済んだ水田の土手が掘り崩されていた。電気さくで囲ってイネは守れても、土手を壊されたのでは、ひどい獣害である。土手の修理に補助はあるのだろうかと、心配になった。

 一九九七年から福井県敦賀市で、水田や放棄水田の生物の保全にかかわってきた。「中池見」と呼ばれる湿田地帯は二十五ヘクタールあり、生物保全のために稲作を続けている数枚の田のほかは、耕作放棄されている。耕作放棄田を、人がすき起こしたように掘り返し、あぜや土手を崩す仕業をみて、イノシシはこんな力仕事が可能なのかと驚く。近くの集落に残っていた美しい棚田は、イノシシが荒らすために耕作をやめてしまった。

 イノシシが山間の湿地にヌタ場をつくり、山林と行き来しているだけなら、人との摩擦は起きないだろう。しかし、「猪変」でも紹介されたように、農家のこうむる迷惑は深刻である。

 イノシシが農山村で何をしているかを知らない人は、あれほどたくさん殺すのは残酷だと憤慨するかもしれない。ごく当然の感情だと思う。「猪変」を読んで初めて、どれほど農家が獣害に困っているかを知った人も多いだろう。野生動物に愛護の気持ちを持つのは素晴らしいが、野生動物が引き起こす現実の問題をも知った上で、考えてほしいと私は思う。

 「猪変」は地元の人や専門家への取材で、イノシシが引き起こす生々しい問題を示す、すぐれた企画であったと思う。調査研究がさらに進み、効果的な被害の予防法、イノシシが絶滅もせずに人との摩擦も起こさない適切な頭数などが、一刻も早く明らかになるよう願っている。

 しもだ・みちこ 広島県大朝町出身。広島大大学院理学研究科博士課程終了。著書に「水田の生物をよみがえらせる」(岩波書店)など。



村崎さん 猿まわし、口上芸の「猿舞座」座長
   村崎修二さん
(56)=山口県周東町

 島の畑再活用へ 希望わく

 昨年春、私は仕事で熊本県天草地方を歩いていた。塩作りをしている友人に誘われ、御所浦という天草群島では小さな島にお猿さんと友人と一緒に丸一日がかり、小さな船を乗り継いで渡った。

 かつてイワシ漁で栄えたこの島も長年の不漁と若者の流出で、すっかり元気をなくしてしまったが、そこからもう一度考え直し、立ち直ろうとする若人もいるもので、世話人のタダシ君もその一人だった。面積は小さくとも七浦もあり、人口はまだ五千人もいる。密度は高い。島に渡ったその日の夕方、島の中心地の小学校の体育館でお猿さんの特別公演を、お年寄りから赤ちゃんまで四世代の観客を相手に実施した。突然のお猿さんの来島にもかかわらず、校長先生や教師集団の奮闘もあって子どもを中心にたくさんの人たちが集まってくれた。婦人会や老人会にも声をかけ地域ぐるみの親子会となり、盛況ぶりにタダシ君も顔を赤らめて満足げだった。

 その日の夜はタダシ君一家と友人たちのすてきなもてなしを受け、夜遅くまで歓談し、泊まった。翌日もタダシ君は役所を休んで島内を案内してくれ、近年、この島がクローズアップされはじめている恐竜の資料館にも立ち寄って研究員から詳しい話や資料を頂いた。

 タダシ君は私たちの来島を一回で終わらせたくなくて、次の計画を練りたがっていた。よくよく話を聞いてみると、イワシが少しずつ帰ってきはじめたこと、最近、島の九合目までかつて耕していた畑にものすごい数のイノシシが現れ始め、狭い島の民家周辺にまで出没し、対策を早急に立てないといけない…。若者を結集して古い祭りを復活し、和太鼓チームも結成して島の元気を取り戻そうと考えているが、問題が多岐にわたるのでぜひ知恵を貸してほしい―との希望だった。

 特に、休耕地を含む一度捨てかけた島の畑の再活用に本腰で取り組みたいので、イノシシ対策は急務だという。私の長年の動物関係情報を当てにしている。そんな時、中国新聞が「猪変」の連載を始めた。うれしかった。時宜を得た朗報だった。旅が多く家を空けているので、女房に頼み込み、記事をすべて切りとって資料にしてもらうことにした。私にとっては一級資料だった。

 北海道から沖縄まで、もう三十年以上も旅をしているが、本格的なイノシシ情報は今回が日本では初めてではないか。まだまだ研究者も少なく、快挙と言っていいほどの事件性を持っている。

 今、私は愛知県安城市の定宿で、この文章を書いている。膨大な記事を前にニヤニヤしている。しっかり読み込んで整理し、この秋にはタダシ君ら天草御所浦の人たちの所へ持ち込んで、「希望の旅」をあらためてつくろうと思う。

 むらさき・しゅうじ 光市出身。民俗学者の故宮本常一氏に師事、周防猿まわしの会を結成。京都大霊長類研究所の研究員でもある。



鈴木さん 島根県立大総合政策学部3回生
   鈴木慎一さん
(21)=浜田市

 共生考えるヒントに

 環境問題において重要なテーマの一つ「野生動物との共生」は、絶滅種の保護という面からも緊急を要する。「今は数が多いから心配ない」「農作物や家畜には有害鳥獣だ」。そんな見方や付き合い方の行き着く先が、ただ一羽となった佐渡のトキであり、十九世紀初頭に絶滅してしまったニホンオオカミではなかったのだろうか?

 イノシシはまさに今、人間社会との摩擦が激しい野生動物の一種である。しかし「猪変」によると、昔は折り合っていた時代もあるという。日本社会は今こそ、イノシシとの歴史的な関係を見つめ直し、いかに共生を図っていけばよいかを考え直す必要がある。

 万葉集にも害獣として現れるイノシシは、はるか昔から農家の敵だったようだ。一方で肉や牙、毛皮は食料や生活用品の材料に利用され、多産や商売繁盛の象徴でもあった。明治時代にお札の絵柄に選ばれ、魔よけのこま犬にもなった歴史は日本社会がかつて、イノシシをもっと身近に感じていた証拠といえる。

 農業経営のために年間十数万頭ものイノシシが全国で駆除されている現代は、異常な時代ではないのだろうか? 「命を大切に」という掛け声の裏で、あまりにも多くの殺生がなされている現実。自然に対する私たちの価値観はどこか、矛盾を帯びた一面があるように思えてならない。

 八月一、二日、私たちの島根県立大学(浜田市)で「世界学生会議」を開く。二〇〇二年一月三日、東京、ニューヨーク、カイロを結んだNHKの同時中継番組をきっかけに始まった会議である。対話による価値観の共有、またお互いの歩み寄りを目指す。三度目の今回、イノシシ問題を事例に「人間と野生動物の共生」を環境分科会のテーマとして選んだ。

 絶滅種をこれ以上生み出さず、自然界との折り合いをつけるために、建設的な議論で世界に向けた提言を作り出したい。共生を図るヒントは、野生動物との関係を歴史の文脈の中から考えること―。「猪変」は、貴重な示唆をくれた。

 すずき・しんいち 岩手県出身。「世界学生会議3rd stage 島根」環境プロジェクトリーダー。



林さん 広島県立大非常勤講師
   林 勝治さん
(64)=広島市佐伯区

 農業形態の見直しを

 イノシシなどによる獣害問題は、農業をどう変えてゆくかという視点から解いてゆくべきだろう。「猪変」第六部で紹介されていた、イノシシが嫌いな農作物を探すという手法なんかがそうだ。工場のような、完全な管理下で人工光線や水耕栽培で野菜を育てる農業形態も一案だろう。過疎が進んでいる時代に、耕作から病虫害や獣害の対策と手間のかかる農業の在り方は難しい。多くの地方行政はまだ、獣害解決の視座が定まっていない。その点、島根県中山間地域研究センター(赤来町)のように農林業サイドと野生動物の研究者がスクラムを組んだ態勢は頼もしく、成果が楽しみだ。田畑に被害さえ出なければ、農家もきっと、野生動物との共存を認める心のゆとりが出てくると思う。(談)

 はやし・かつじ 大阪市出身。専攻は野生ほ乳類社会学。山口県野生鳥獣調査団の一員。広島市や岡山県の委託で猿害対策の指導をしている。