中国新聞社

(9)毛が抜けて体の神秘に気付き感謝

2001/7/1

 くりくり頭も、すっかり板についてきた。時間がたつと、だんだん自分自身にエールを送る、一つの決心が生まれてくる。抗がん剤を重ねていくにつれ、副作用も髪の毛だけではなく、鼻毛も、まつげも、おしもの毛も、最後はまゆ毛まで抜けて、全身つるんとした感じになった。

 当初、私は鼻の穴までは観察していなかった。暖房のあるなしで鼻水が流れ落ちたり、乾燥して粘膜がピンと張ったりして、「おかしいな」と、はじめて気付いた。まつげの脱毛は「いやに目にごみが入るな」と思って鏡を見たら、「アレー」といった感じだった。

 少し恥ずかしい話になるが、オシッコは、おしもの毛があるから、それを伝ってうまく流れ落ちる。ところが、毛がなくなると、横に飛び散ってしまう。毛も、それぞれの場所で、それなりの役割をけなげに果たしているのだ。

 いまさらながら身体の神秘を思い、今まで意識していなかった毛に、「ありがとう」と感謝の気持ちがわいた。抗がん剤の種類によっては脱毛しないこともあるが、抜けたおかげで、私はいろいろ学べてよかったと。

 そうは言っても、全く気にしなかったわけではない。アメリカで脱毛予防のクリームが開発されたという小さな記事を見て、「早く日本に入ればいいのに。モニターになれるのになあ」と、切り抜きを早速、ナースステーションに持っていった。あるメーカーが、小児がんの子ども二百人を対象に、無料でオーダーメードのかつらをサービスするという記事を見つけた時も、すぐに届けた。

 今、自分ががん患者だから、こんな記事が目に留まるのだ。健康な時なら、きっと見落としていたに違いない。

 私はいつの間にか、婦人科病棟の「よろず相談人」として、新しく入院してきた人たちや問題、疑問を持っている人の聞き役、相談相手になっていた。「あなたも病人なんだから、くれぐれも患者に徹してね。すぐ、世話を焼くんだから」。友人はそう言い残して、帰っていった。

 「ちょっと頼みたいんじゃが…」。病棟の廊下で、思いがけない人から声を掛けられたのは、そんな冬のある日だった。

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