2001/8/5 治療を終えて、退院する人を見送る時、羨(せん)望のまなざしで「いつか自分も」と、その日を待ちわびるようになる。私もエレベーターの前で、幾人かに「元気でね」と手を振った。ドアが閉じると、フーと気が抜けて、取り残された感じがした。「一緒にかえりたーい」と思うが、できない現実。 抗がん療法を私と同じ日に始めた五十歳代くらいの女性がいた。廊下で「どう?」とたずねると、「まあまあ」と大きな目をにっこりさせて、答えていた。 ある日、洗いものをするのに病棟の洗濯機をのぞいたら、見覚えのある彼女のパジャマがあった。部屋に行って「洗濯終わってるよ」と伝えると、「乾燥機に入れなくちゃ」と、ゆっくり立ち上がった。おなかに手を当てている。「私がやっておくから、休んでて」と声を掛けたが、ついて来た。手伝いながら様子をみた。身体がだるそうだ。笑顔もない。 「あ、乾燥機のフィルターの掃除をしなくちゃ」。彼女に言われるままネジを外し、フィルターの糸ごみを取って固定した。「だれも、なかなか掃除しないのよね」。確かに使うばかりで、申し訳ないと恐縮してしまった。洗濯を終えて一足早く部屋に戻った彼女は、じっと横になっていた。 翌日、彼女の部屋に行くと姿が見えない。個室に入ったのだ。家族の方が出入りしている。「あの人が連れ合いさん。この人が息子さん、よく似ているな…」。会釈はするが、とても部屋には入れそうにない緊張した雰囲気が漂っている。 看護婦さんに様子をたずねても、当然、守秘義務があるので、詳しいことは教えてもらえない。手紙を書いて、担当の看護婦さんに渡してもらうと、「喜んでいたよ」と知らせてくれた。 それから、一週間ほどたった真夜中。なんとなくのどが渇いて、お湯を取りに廊下を歩いていく途中、彼女の部屋の前を通った。その時、半開きになった扉の向こうに、彼女の姿が見えた。一瞬、私は目を疑った。白布に包まれているような気がしたからだ。 翌朝、彼女の部屋が開け放たれて、主のいないベッドに、静かに風が流れていた。何ごともなかったような、いつもの朝食のコール。私は仕事柄、たくさんの患者さんの死を看(み)取ってきた。しかし、同じ病気の仲間の死を目の当たりにして、身も心もすくんだ。 |