2001/10/28 退院の日を指折り数えていると、今まで病室で過ごした日々が一場面ごとに浮かんでくる。それをまとめるようにもう荷物も整理を始めていた。両足の付け根に少し違和感があったが、手術のせいもあるのだろう。六クールは、一泊二日を三回ほど繰り返せばいい。血液検査の結果もいいし自己管理ができるということで、退院許可が出たのだ。 アメリカでは、通院での化学療法が主流になっている。早く日本でも通院で化学療法ができるシステムが整えばいいのにと思う。化学療法に精通した医師と看護婦がチームを組んで安心して治療を受けられる外来化学療法センターが自分の暮らしているエリア内にあれば、どんなにいいだろう。 五クールの三回目の抗がん剤の注射が終わり、二時間様子をみた後、「帰ります。ありがとうございました」と、そのまま病院を辞した。すべて終わっての退院ではないものの、すっかり終わった気分になっていた。 六クールの一回目の治療日は、すぐにやって来た。一泊旅行の気持ちで入院手続きをし、抗がん剤を打って退院。また一週間後に入院し、抗がん剤を打ってまた退院と、えらく慌ただしい。身体もだるく、微熱もある。 「えーっ、順調だったのに。なぜ?」という思いが込み上げてくる。結局、入院したまま、様子を見ることになった。なんだか気持ちがなえる。どんどん熱が高くなる。座薬を入れても、しばらくすると、また熱が上がる。風邪症状はないが三八度から三九度の発熱は、さすがに心細い。予定通り抗がん剤治療ができなくなるからだ。 四人部屋には、手術前の人が三人もいる。原因不明の熱が、その人たちに感染でもしたらと心配になって、個室へ移った。抗生物質の点滴もするが、効果なく、熱は一週間も続いた。鏡を見たら、本当にやつれた顔があった。おまけに、前から気掛かりだった両足の付け根も痛む。 「先生、どうなっとるん。熱が下がらんよー」。口をとがらせて言った。CT検査などして、ようやく原因を突き止めた。両足の付け根に、六センチと四センチの大きさのリンパ嚢腫(のうしゅ)ができていた。あと一回で晴れて退院だったのに、「雨」になってしまった。(訪問看護ステーション・ピース所長=広島市) |