■ラジオにコーナー/石垣島に後援会
広島から遠く千キロ離れた沖縄が、広島東洋カープの応援に燃えている。カープの選手が自主トレに励み、二月一日からキャンプを張る沖縄市では連日、ラジオで話題が流れ、球場には「たる募金」が登場する。石垣島にもファンの会ができた。地元出身の安仁屋宗八さん(61)が投手コーチで復帰するなどきずなも強まり、「おらがカープ」意識が盛り上がっている。(みんなのカープ取材班)
沖縄市のアーケード街にあるコミュニティーFMコザのスタジオ。「それ行けカープ」のメロディーが流れる。パーソナリティーの市観光協会職員金城諭さん(31)は赤い帽子。壁にはこいのぼりとカープカレンダー。
比嘉選手が出演
毎朝、約三十分間のスポーツコーナーの三分の二をカープの話題で割く。自主トレが休みの二十七日、地元出身の比嘉寿光選手(23)が出演した。金城さんの突っ込みに、「初めてのお立ち台ではウチナーグチ(沖縄の方言)でしゃべります」と約束した。
カープコーナーは七年前、キャンプが近づくと始めていた。一年通しての「レギュラー」に昇格したのは昨年一月。沖縄勢で初めて甲子園を制した沖縄尚学の優勝メンバー、比嘉選手の入団がきっかけだった。
沖縄本島から四百キロ余り南西の石垣島。一月中旬、自主トレのため空港に降り立った嶋重宣選手(28)は驚いた。横断幕や花束で迎えられたのである。
誕生したばかりの「やえやま赤ヘル熱狂会」。年末に嶋選手がテレビ番組収録のために島に来ると聞きつけ、「自主トレに来て」とラブコールを送った八重山青年会議所の仲嶺忠師理事長(36)が結成した。「島の野球少年にとって最高のお手本」と大喜び。広島市民球場への応援ツアーも計画する。
沖縄の広島県人会も立ち上がった。二十二日に那覇市内で開いた例会で、新球場建設を目指す「たる募金」を実施。約四万円を集めた。
キャンプ先駆け
プロ野球十二球団のうち今年、八球団が沖縄県内でキャンプを張る。先駆けは一九八二年のカープだった。以来一度も「浮気」はしていない。「義理人情に厚い市民球団だからですよ」と沖縄市観光協会の崎浜秀嗣事務局長(44)。カープの定着で、本年度は全日本ソフトボールチームなど五十七団体が同市を合宿先に選んだ。県全体の四割を占める人気である。
市は屋内練習場の建設や、グラウンドの土を毎年入れ替えるなど、カープを支える。球団もキャンプ中に子ども向けの野球教室を開いたり、使用済みのボールを贈ったりして熱意に応えている。
沖縄とカープの縁は四十年前にさかのぼる。復帰前の沖縄から、安仁屋さんがパスポートを持ってカープに入団。沖縄生まれ、沖縄育ちのプロ1号だった。テレビ中継が巨人戦しかない時代、「巨人キラー」として活躍する。「大リーグに乗り込んだイチローと同じだった。オールドファンは今も沖縄=カープのイメージがある」。沖縄市教委市民スポーツ課の大城実さん(45)は語る。
比嘉選手、安仁屋コーチに加え、金城宰之左選手(18)も入団し、カープの沖縄出身者は三人になった。
キャンプでのたる募金実現に尽力した広島県人会のメンバーで呉市出身の会社員七條祟さん(28)は「故郷を遠く離れ、世代を超えて広島を感じさせてくれるのはカープ」と熱を込める。金城さんたち沖縄側も「『新球場のホームベースは僕らがつくった』と言えるぐらい熱気を集めたい」と張り切っている。
【写真説明】
上=赤い帽子をかぶった金城さん(左)とカープ談議に花を咲かせる比嘉選手(27日、沖縄市のFMコザスタジオ)
下=泡盛メーカーで調達したたるに募金する沖縄広島県人会のメンバー(22日、那覇市内)
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