“国連の顔”惨状にゆがむ

「ヒロシマと手を携え、核廃絶と軍縮の実現に尽くそう」—26日夕、国連事務総長として初めて被爆地・広島へやって来たデクエヤル事務総長の表情は、終始、険しかった。広島原爆資料館では生々しい被爆資料を食い入るように見、夕やみのなか原爆慰霊碑に、犠牲者のめい福を祈って黙とうした。「被爆者の死を、決して忘れられた挿話に終わらせてはならない」。原点の市民に投げかけたメッセージには、核戦争の危機を軍縮に向かわせる総長自身の固い決意と、全世界の世論に訴える切実な願いがこもっていた。

沈痛な面持ち、体の前でギュッと手を重ね合わせたデクエヤル総長。原爆資料館で、高橋昭博館長の説明を受ける目が、展示資料を射るようだ。放射能障害について「被爆者は血ウミを出し、紫色の斑(はん)点を浮かして死んだ」との説明を聞くと、口をゆがめ、核被害のひどさに首を振った。

7月10日に終わった第2回国連軍縮特別総会でも、国連ロビーに広島、長崎の被爆資料が展示されたが「被爆地で触れる被爆の実相には、より大きな恐怖がある」とポツリ。約25分間の見学の後、高橋館長に「ヒロシマ、ナガサキと一緒に核軍縮の実現に努力しよう」と語りかけたデクエヤル総長は、記帳台で「資料館は、人類にとって恒久平和の教訓である」と7行のスペイン語で記した。

広島市公会堂での「歓迎の集い」で、約1,700人の被爆者ら市民を前にした総長は、淡々とした語り口で訴えかけた。「人類の科学と技術が繁栄の源になることを願い、破壊の道具になることは望んでいない」と。核軍拡の道をたどり続ける核保有国への批判の中に、成果なく閉幕した軍縮総会での核大国のエゴに対する怒りも込められた。

集いの10分前、近づく台風の影響で風の強くなった原爆慰霊碑で黙とう、荒木武市長から碑文に語られた原点ヒロシマの願いを教えられたデクエヤル総長。メッセージの最後に早速、碑文を引用した。「世界のあらゆる国が、軍縮政策と行動の動機になるよう決意しよう。“過ちは繰返しませぬから”」—。それは「国連を世界の軍縮センターに」と願う“国連の顔”が被爆の原点から発した、恒久平和への希求だった。

市民へのメッセージ(要旨)

原爆慰霊碑は全人類にとって重要な意味を持つ。

人類は恒久平和を切望している。核時代において、人類が絶滅の可能性に直面していることは、疑問の余地がない。核戦争では、いかなる国も勝利はない。核戦争は限定戦争にとどまらず、世界が崩壊すれば、だれも勝利者とはなり得ないからである。

国連は、人類が選択を迫られていることを厳粛に宣言した。すなわち、私たちは軍備競争を停止して軍縮にまい進しなければならない。この警告にもかかわらず、まだそれに呼応した行動が喚起されていない。世界中の世論は、各国政府が、軍事的手段に頼らず安全保障を探求しようとする政治的意思を持ち、また道徳的責務を感じるよう、努力する必要がある。軍縮は1年や10年で達成されるものではない。しかし、軍備競争を終結させる可能性について絶望感を抱くことは、軍備競争それ自体と同程度に危険なものである。想像し得る最悪の事態を引き起こしたくなければ、軍縮の探究は継続されなければならない。

37年前、この地において、原子爆弾の爆発を実際にも目撃された広島市民に特に言葉を贈りたい。「あなたがたが負っている傷は、人類の良心に深く焼き付いている」

この地で、被爆直後、あるいは被爆に起因する病気の結果、多くの人々が亡くなられた。彼らの死を、人類の体験において、忘れられた挿話として決して終わらせてはならない。彼らの犠牲は、戦争が新しい局面に突入した歴史の分岐点をしるし、その教訓は私たちすべてに対して世界の平和に代わるものがないことを痛感させた。この最高の教訓が、単なる道徳的な教えにとどまらず、世界のあらゆる国家において、政策と行動の動機になるよう決意しよう。

(1982年8月27日朝刊)