特 集 
2000.1.1

 一八九五年、ドイツの物理学者ウィルヘルム・レントゲンがエックス線を発見してから一世紀余。一九〇〇年代は、人類が自ら生み出した「核の文明」と格闘した百年間でもあった。核による被害は、広島、長崎への原子爆弾投下にとどまらない。大量の放射性物質をまき散らしたチェルノブイリ原子力発電所の爆発や核燃料施設の事故が相次いだ。 被曝と人間  昨年九月三十日には茨城県東海村で国内初の臨界事故が起きた。核エネルギー利用のさまざまな分野で起きた被害の向こうに、核に対する人類のおごりや過信が透けて見える。核兵器の残虐さと放射能の怖さを、身をもって訴え続けてきた被爆地広島。その役割が今、あらためて問われている。

お ご り ・ 過 信 へ の 戒 め

 東海村事故(1999年)    世界に広がる核汚染

ず さ ん 作 業 ・ 対 応 遅 れ
 
東海村臨界事故


東海村臨界事故
JCOの転換試験棟内にある沈殿槽。中央上方の穴から社員2人がウラン溶液を注入した
(1999年10月1日、JCO提供)
 「原子力の村」と呼ばれる東海村で昨年九月三十日、日本原子力史上最悪の臨界事故が起きた。核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)社員が高濃度のウラン溶液をバケツで沈殿槽に投入作業中、ウランが臨界に達し、中性子線を中心とする放射線が約二十時間放出され続けた。微量の放射性物質も漏れた。

 科学技術庁、茨城県など行政機関の対応は遅れが目立った。三百五十メートル内にいた周辺住民らに圏外避難を要請したのは五時間後。十キロ以内の住民の屋内退避は十時間後だった。

 臨界による直接被曝(ばく)者は六十九人。JCOとその関連会社の五十九人のほか、重症者を搬出した消防救急隊員三人と、JCOに隣接する建設会社の七人も含まれている。

 さらに科技庁は、臨界を終息させるため沈殿槽の周囲の冷却水を抜く作業などに携ったJCO社員、土のう積みなどの作業をした核燃料サイクル開発機構と日本原子力研究所の防災業務関係者の計八十一人も被ばくした、と発表している。

 このほか、圏外避難の対象となった三百五十メートル内にいて、被ばくが濃厚な人は約三百人に上る。

 昨年十二月死亡した大内久さん(35)の推定被ばく線量は、放射線医学総合研究所(千葉市)によると、一六〜二〇シーベルト。広島原爆に置き換えると、爆心地から百メートル以内に相当する。

 事故後に現地を訪れた福島生協病院(広島市西区)の斎藤紀病院長は「周辺住民も含め、それぞれの被ばく線量に応じた、きめ細かい継続的な健康チェックが必要」と話す。

 原子力安全委員会の事故調査委員会や茨城県警は、ずさんな作業が事故の直接原因と断定。作業マニュアルを無視した効率優先の操業実態や、国の甘いチェック体制も明らかになった。



 広島原爆(1945年) 

無 差 別 殺 傷 、 苦 し み 今 も
 
広島原爆


広島原爆
原爆投下で廃虚と化した広島市の爆心地付近
(1945年10月上旬、林重男氏撮影)
 一九四五年八月六日、人類の頭上に初めて落とされた原子爆弾。広島市の上空約五百八十メートルで起きたウラン235の核分裂は、TNT火薬十五キロトン相当といわれるエネルギーを一気に放出し、市街地を焼き払い、市民を無差別に殺傷した。通常兵器との違いは、爆風や衝撃波による破壊力に加えて、強烈な熱線と放射線が伴うこと。その威力は、核開発競争という核の呪縛(じゅばく)の原点にもなった。

 広島市が国連への報告書(一九七六年)で公表した四五年末までの推計犠牲者は「約十四万人±一万人」。一方、市原爆被爆者動態調査で、氏名が判明した同時期の死没者は約八万八千人にとどまる。犠牲者の正確な数は今も不明である。

 生き延びた被爆者は、放射線障害に苦しめられた。被爆直後から、中枢神経障害や腸管障害、さらに骨髄障害による白血球減少などの急性障害に襲われた。そして、長期にわたる晩発性障害。忍び寄る病魔の影におびえながら生きてきた。

 広島は被爆者治療と放射線影響研究の先進地でもある。その成果は国際的な放射線の防護基準の指針になった。東海村臨界事故の後、医療支援のため現地入りした広島大原爆放射能医学研究所の鎌田七男教授は「住民の不安に対し、研究の蓄積を基に的確な回答や説明をすることが広島の務め」と強調する。

 「核兵器による新たな被害者をつくるまい」。被爆者を中心とする反核平和運動は、国際世論に大きな影響を与えた。だが、核軍縮の歩みは遅く、核兵器の機能維持の実験は今も続いている。



 チェルノ事故(1986年)   

放 射 性 物 質   世 界 に 飛 散
 
チェルノ事故


チェルノ事故
建屋が吹き飛んだチェルノブイリ原発4号機
(1986年5月9日、タス=共同)
 一九八六年四月二十六日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所四号機で、試験運転中の原子炉が暴走し、爆発した。建屋が吹き飛び、原子炉内のストロンチウム、ヨウ素などの放射性物質が大量に大気中に出た。

 放射性物質は気流に乗って広範囲に飛散。欧州全域に「死の灰」となって降り注ぎ、空気や水、農畜産物などを通じて人間の口から体内に入った。こうして身体の内側から汚染される「内部被ばく」が、チェルノブイリ原発事故の特徴だ―と、放射線影響研究所(広島市南区)臨床研究部の錬石和男内科長は指摘する。

 旧ソ連当局の発表では、事故による直接の死者は作業員など三十一人。しかし、錬石内科長は「大人よりヨウ素を吸収しやすい子どもに、甲状腺(せん)がんが多発している。周辺に飛散した放射性物質を除去した除染作業員がいたことも忘れてはならない」と語る。

 民家の解体や洗浄などに当たった原発職員、軍人、一般市民は数十万人といわれ、がんの多発が報告されている。土壌などに降下した放射性物質が出し続ける放射線による外部被ばくの被害も長期にわたった。

 約八千キロ離れた日本にも微量の放射性物質が降下した。輸入されようとした欧州産のアーモンド、キノコなどから基準を超える放射能が検出され、原産国に送り返された。

 事故直後、四号機はコンクリート製の石棺で覆われたが、石棺の傾きや放射能を含む水の地下流出などの危険性が指摘されている。




 ★放射線と放射能
 「放射線」を出す能力が「放射能」、この能力を持った物質を「放射性物質」という。ラジオに例えると、音は「放射線」、ラジオ自体は「放射能を持った放射性物質」といえる。自然界にはウラン、ヨウ素、ラジウムなどの放射性物質がある。放射性物質には元来、原子核が分裂(核分裂)しやすい不安定な性質がある。核分裂の際に放出される電磁波や粒子線が放射線で、巨大な運動エネルギーを持つのが特徴。放射能は時間とともに減少していく。放射能が元の半分になる時間を「半減期」といい、半減期は放射性物質によって100分の1秒〜141億年と、大きく違う。

 ★放射線の種類
 アルファ線、ベータ線、ガンマ線、エックス線、中性子線などが代表格。放射線の特徴である物を通す力(透過性)は種類によって異なり、アルファ線は紙1枚で遮られるのに対し、中性子線はコンクリートや鉛も通す。放射線は宇宙や大地から放出されており、人間は常に自然界から微量の放射線を受けている。



 ★臨界
 不安定な放射性物質は、より安定しようと自らの原子核を壊して分裂し、大量のエネルギーと放射線を出す。その際に放出される2、3個の中性子が次の放射性物質にぶつかると、新たな核分裂が起きる。こうして連鎖的に核分裂が起きる状態を「臨界」と呼ぶ。臨界が瞬間的に起こると原子爆弾になり、逆に反応を制御しながらゆっくりと臨界を保ち、そこから出る熱を利用するのが原子力発電所である。臨界事故の多くは、その仕組みがよく分かっていなかった1950、60年代ごろに起きている。


 ★シーベルト
 身体にどれだけ放射線が吸収されたかを「吸収線量」といい、単位はグレイ(Gy)で表す(旧単位はラド)。一方、放射線による身体への影響の度合いを「線量当量」といい、シーベルト(Sv)が単位(旧単位はレム)。放射線は、中性子線やガンマ線など、種類によって人体への影響に差異があるため、シーベルトが影響を測る統一単位。ガンマ線は1グレイ=1シーベルトで、中性子線では1グレイ=10〜20シーベルトといわれている。

 ★被爆者と被曝者
 日本の研究者やマスメディアは、広島・長崎の原子力爆弾による被害者を「被爆者」と表記してきた。一方、核実験や原子力施設の事故、放射性物質による汚染などで、放射能や放射線に曝(さら)された被害者を「被曝者」あるいは「被ばく者」と記している。

●言葉メモ・主な参考文献 「放射線の世界」(日本原子力文化振興財団)▽放射線影響研究所パンフレット▽「民医連医療」1999年11・12月合併号



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