(01.08.06)

社  説

 被爆地から警告発しよう

 新世紀初の「広島原爆の日」をきょう迎えた。前世紀末に、とも りかけた核廃絶への希望の明かりに、いま暗雲がかかっている。 「一国主義」に走り、国際協調の動きに冷水を浴びせる米国のブッ シュ新政権への懸念である。国民の圧倒的な支持を得ている小泉純 一郎首相率いる日本政府も、平和路線の観点から米国に批判をぶっ つけるわけでもない。核廃絶に逆行する動きに対して被爆地から粘 り強い警告の声を上げたい。

 さまよっていた伝言

 爆心五百メートルほどの広島市立袋町小学校では多くの被爆者が 亡くなった。昨春、黒板の裏の壁から、被爆者や、探しにきた家族 の伝言が半世紀ぶりに見つかった。切り取られガラスケースに保 存、暫定公開中である。コンクリートの荒い壁面に白いチョークで 書かれた伝言。名前を連ね「御存知ノ方ハお知らせ下さい」などと ある。それらは被爆の惨状を伝える遺物というより、家族を思う 「愛」を伝えている。この半世紀、宙をさまよい続けていた「家族 の愛」にふいに触れて、私たちは感動を覚えたのである。

 半世紀以上たたないと表に出てこない深い「心の傷」がある。神 奈川県大和市に住む詩人の橋爪文さん(七〇)は、広島市中区の爆 心一・五キロほどの広島貯金支局で被爆した。自らも傷つき、弟を 亡くした。やっと先月、経験を「少女・十四歳の原爆体験記」とし て刊行できた。

 被爆後の広島で橋爪さんは、恐ろしいほど美しい夕焼けを見た。 夕日が沈むとカラスの大群が姿を現し、がれきの中の遺体に群がっ た。地獄図だった。しかし、せい惨な地獄の中にも、「眠ったら死 ぬ」と大量出血した橋爪さんの名前をずっと呼び続けてくれた友人 がいた。水を求める重傷者に黙々とやかんの水を運び続ける青年が いた。「つらい体験でした。でも私はその中に人間のすばらしさを 見ることもできました」

 橋爪さんのここ十年の行動には驚くほどの広がりがある。六十歳 で英語の勉強を始め、一年後にはスコットランド短期留学に恵まれ た。自作の被爆詩を英訳してもらい、披露した。驚きが走った。

 被爆証言求める海外

 ニュージーランドなども歴訪。核兵器の違法性を国際司法裁判所 に問う運動を進めていた非政府組織(NGO)の人々とも出会っ た。オーストラリアの小・中・高校生に体験を話す機会もあった。 最初、硬い表情だった生徒たちに「感動の波が広がり涙する生徒が 多くなった」。惨状の底を流れる人間への「愛」と「信頼」が外国 人の心に響くのだろう。いま、被爆証言は世界で求められている。

 橋爪さんが旅で出会ったNGOの尽力もあって、ここ数年、核廃 絶へ大きな前進が見られた。核兵器を「一般的には違法」とする国 際司法裁判所の勧告的意見、核拡散防止条約(NPT)再検討会議 での核保有国の「核廃絶への明確な約束」、包括的核実験禁止条約 (CTBT)の国連採択などである。しかし、米国に誕生した共和 党のブッシュ政権は、これまでの国際的な約束を次々「反古(ほ ご)」にしそうである。「国益に添わない」という理由で―。

 米政権は「条約自体に致命的な欠陥がある」として、CTBTの 「死文化」を狙っている。一方で、実施するまでに三年が必要とい う地下核実験の準備期間について、大幅に短縮する研究を命じたこ とも明らかになった。核実験再開を視野に入れているのは間違いな い。

 危険なミサイル防衛

 ミサイル防衛構想については、先月十四日に三回目の迎撃実験を 行い「成功した」と発表した。これまで核抑止の基盤とされた弾道 弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約も、ミサイル防衛構想に邪魔な ので修正か脱退を図っている。いずれにしても、ミサイル防衛構想 が、新たな核兵器の開発競争を生み出すきっかけになることは間違 いない。自らの核兵器が無力化することを他の核保有国が座視する とは思えないからだ。もし、中国が踏み切ればインド、パキスタン が続くだろう。力を力で制する発想は限界と破たんが見えており、 二十世紀の遺物にすべき時である。

 ブッシュ政権は、他国がどう思おうと自らの力の行使権をフリー ハンドにしておく政策を選んだようだ。この「独善」は危険だ。危 険にいち早く「警告」を発するのが、唯一の被爆国を標ぼうする同 盟国・日本の責務だろう。しかし、小泉政権はミサイル防衛を「理 解する」態度から出ようとしない。

 四年前の平岡敬広島市長時代、平和宣言の中で日本政府に対して 「核の傘に頼らぬ安全保障体制の構築」を要求した。当時の橋本龍 太郎首相は「できっこない。市長はアメリカの怖さを知らない」と 言ったという。大阪大大学院教授の黒沢満さんは、核軍縮に熱心な カナダやオーストラリアと一緒になって米国に働きかける戦略を提 唱している。政府に実行を働きかける価値はありそうだ。

 日本世論調査会の調査では、国民の55%が「核の傘は不要」と答 えている。米国でも新政権への批判は高まっている。被爆体験を内 外に伝えよう。人間への愛と信頼回復を世論に訴えよう。そして強 い「警告」メッセージを発信しよう。


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