中国新聞
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無言の証言者 「あの日」受け継ぐ象徴 (02/07/31)
picture山崎仁子さん(前列左端)ら市女2年5組の入学時の写真。級友らが学校の記録を基に、被爆死した43人のうち40人の遺影を確認している

 広島市中区の平和記念公園で一日に開館する国の原爆死没者追悼 平和祈念館。オープンに合わせ、「被爆体験記にみる動員学徒」と いう企画展が始まる。「クラスの皆さんと一緒に出してほしい」。 横浜市に住む平田孝子さん(72)は、父の手記に妹一人だけの遺影が 会場で添えられると聞き、もどかしさを口にした。

 妹の山崎仁子(さとこ)さんは、現在の公園南側の建物疎開作業 に動員され、二百六十四人が亡くなった広島市女(現・舟入高)の 二年生の一人。十三歳だった。父の益太郎さんは勤務先の爆心〇・ 七キロの中国配電(現・中国電力)で奇跡的に助かり、元安川を渡 って作業現場に向かった。市女遺族会が十三回忌の一九五七年編さ んした『流燈』に、立ち会った「焦熱地獄」の惨状を克明に寄せて いる。

 父の背中でこときれた妹の遺体と二晩過ごした平田さんは言う。 「多くのお友達が犠牲となり、遺族の皆さんは誰しもがつらい目を されたのに、ことさらあの子だけというのは…」。亡き父が保存し ていた妹のクラス写真を祈念館に提供したのは、亡くなった級友た ちの記録を残してほしいとの思いからでもある。

 「国は、原爆死没者の尊い犠牲を銘記し(略)その体験の後代の 国民への継承を図る」。祈念館の開設は、被爆五十周年を翌年に控 えた九四年末成立の被爆者援護法に基づく。そうであるなら、広島 ・長崎原爆で一体どれだけの人が亡くなったのか。国は今も全容を つかんでいない。

 広島の平和祈念・死没者追悼空間の壁面をなす四五年末までの死 没者数を表す陶板の数は、推計値。広島市が七六年に国連に提出し た「十四±一万人」をとった。「名前・遺影の登録」は遺族からの 申請による。未解明にある原爆被災の実態を、遺族らの手で銘記す る場でもある。

 市女二年生六学級の死没者二百六十四人は、全員の名前が分かっ ている。入学時の各クラス写真が遺族や級友のもとにある。自宅な どで被爆して助かり、疎開していた同級生三十人が「級友の証しを 残すのは務め」と三年前に初めて集い、舟入高が保存する一連の記 録を基に、記憶に消えない亡き友一人ひとりを照合した。二百二十 六人の遺影を確認している。

 鎮魂の作業に参加した竹重美代子さん(71)=広島市中区=ら同級 生は「いつでも協力します」と、祈念館としての調査を呼び掛け る。さらに、死没者学徒についていえば、五〇年代に作成された少 なくとも「四十校、五千七百三十五人」の名簿が広島県庁に残る。 それは国にも報告された。一つひとつの被災資料を掘り起こしてこ そ「後代への継承」となる。

 祈念館は、遺族や市民らがつくり、育てる「未完の施設」。原爆 被災の無言の証言者である「遺影」は、ヒロシマの記憶を生きる者 たちが受け継ぎ、よびさますことを語り掛けている。(西本雅実)  =おわり



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