中国新聞

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20020929
JCO事故から3年 臨界の波紋

東海村村長インタビュー
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東海村臨界事故あす3年
原子力の村 後遺症今も
根強い安全性不信

 臨界事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所は、住宅地に囲まれた国道6号のすぐそばにある。事故以来、施設内のすべての工場の生産を停止し、後に科学技術庁(現文部科学省)から違法操業によって事業許可を取り消された構内はひっそりとしていた。

 ▽従業員は半分以下

 「現在の従業員数は事故当時の半分以下の五十人。二百リットル入りドラム缶で八千本ある低レベル放射性廃棄物の管理や訴訟問題などに当たっています」。全額出資の住友金属鉱山からJCOに出向している総務グループ長の大場浩正さん(40)は言った。

 核燃料サイクル開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団)の高速増殖炉実験炉「常陽」のための高濃縮ウラン溶液を製造していた問題の転換試験棟は、敷地の片隅にそのまま残されている。

 「ウラン溶液だけを運び出し、建物や装置は刑事裁判の現場保存のために当時のままです」と大場さん。「多くの人々に迷惑をかけた事故については、ただおわびするしかありません」と続けた。

 試験棟近くのブロック塀越しに見える住宅地には、何事もなかったかのように、今も住民が暮らしている。その住民たちの多くは、名前を出してまで事故について語ろうとはしない。

 ▽声上げにくい空気

 東海村では事故の翌春、条例で九月二十四日から三十日までを防災週間と定めた。防災訓練に加え、今年は初めて二十八、二十九の両日に村主催の「原子力防災フォーラム」を開き、村民からパネリストを公募した。

 「別に原子力利用について批判するフォーラムでもないのに、応募者はたった四人。やはり住民にはまだ公に原子力について声を上げるのが難しいという空気がある」と、村上村長は嘆いた。そこには、村民の多くが直接・間接に原子力事業に関係するという村の特殊事情が横たわる。

 体の不調を声高に訴えたり、訴訟を起こすなどというのは「容易ではない」と村上村長も率直に認める。

 ▽「孫の将来が心配」

 工場周辺の民家を十数軒歩いて回った。訪問の趣旨を伝えると、多くは重い口を開いてくれた。

 「中性子線とかを浴びてかえって血圧が下がって体調がよくなったぐらい」。冗談めかしてこう答えた七十代前半の女性一人を別にすれば、だれもが自身の体調不良や、あるいは子・孫への健康不安、相次ぐ原発をめぐる不祥事に触れながら原子力の安全性への不信を表した。

 「JCOの関係者が見舞いだといって来た時は『自分が近くに住んでおれば、危険なウランをバケツで扱うようなずさんな作業はしなかったでしょう』と怒りをぶつけた。県外にいる親を呼び寄せて隣に住む計画も『JCOの近くでは…』と実現しなかった」。元看護師で四歳の子どもがいる女性(30)は語気を強めた。

 ふとんから起き出してきた七十代後半の女性はつぶやいた。「いつも体がだるくて体調はよくないけど、事故が原因かどうか分からない。それより事故の時、避難もせずに家にずっといた大学生になった孫の将来のことが心配で…」

 表面上は平穏に戻ったかに見える東海村。だが、JCO事故の後遺症は、明らかに今も続いている。
「事故当時のままに保管されている」と、転換試験棟(手前)そばに立って説明する大場さん

《東海村臨界事故》1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の転換試験棟で、濃縮度18.8%のウラン溶液を製造中、沈殿槽に一度に大量の溶液を投入したため、核分裂反応が連続する臨界事故が発生。臨界状態は約20時間継続し、中性子線やガンマ線などが周辺に放出された。

 転換試験棟内で作業していた社員3人のうち大量被曝で2人が後に死亡。臨界を終息させる作業に当たった社員と原子力関係者、付近住民ら663人が被曝したとされる。現場から半径350メートル以内の住民に避難勧告、半径10キロ以内の住民約31万人に屋内退避を要請。国際評価尺度「レベル4」の国内史上最悪の原子力事故となった。

 原子力事故で初の刑事責任を問う水戸地裁での裁判で、検察側は9月2日に論告を求刑。前事業所長に禁固4年、罰金50万円、他の5人に禁固3年6月―2年6月、JCOに罰金100万円を求刑したが、国の責任は問わなかった。年度内にも判決が言い渡される見込み。
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