中国新聞
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第一部 南米編
 2 我慢のお守り
 保険入れず 通院困難 続く病「安静しか…」

2002/07/03
 サンパウロ市から東に五十キロ。牛馬が歩くのどかな道を抜ける と、人口約二十万人のスザノ市がある。山根一一(かずいち)さん (75)、百合枝さん(76)夫妻の自宅に招き入れてもらった。

 「保険に入らんかったのが悪いと言われればそれまでだが…」。 一一さんはやせた首をなでる。病気になっても、我慢して病院に行 かないのだ。

 ▼薬代などに数万円

 民間健康保険が主流のブラジル。加入していないと病気になるた び、病院代や薬代などに、それぞれ日本円で数万円から数十万円か かる。月一人一万円程度の年金で暮らす二人にとって、容易な額じ ゃない。

 「若いころは生きるのに精いっぱい。原爆症の情報はないし、不 安を感じる余裕もなかった」。かといって高齢の今になって、加入 を認めてくれる保険会社はない。

 一一さんは、戦前の移民である。二歳でともにブラジルへ渡った 両親を相次いで亡くし、九歳のとき知人に連れられ、古里の高取 (広島市安佐南区)に戻った。

 一九四五年二月、百合枝さんと結婚した。その矢先、原爆は落ち た。

 一一さんは、消防団員として自宅の近くで草取り作業をしてい た。四、五時間後、ぼろぎれのようになった人たちが続々と避難し て来た。「こりゃ大変なことだ」。翌日、消防団仲間を探して焼け 跡に向かった。

 百合枝さんは、腹膜炎を起こして安佐町(安佐北区)の実家に帰 っていた。八日になっても帰らない二人の兄を探し、やはり入市被 爆した。

 被爆十年後、幸せな家庭を築く場所に、夫妻は地球の反対側を選 んだ。原爆で多くの友を失った広島に、夢や希望は託せないと思っ たから。

 養鶏場でこつこつ働いた。二年後に独立した。ブドウ園を始め た。

 三十二年前、墓参りのため一度だけ、夫婦そろって広島に帰った ことがある。「ついでに健康診断も」と頭をよぎった。が、働き盛 りの元気だったころ。被爆者健康手帳を取得する手間が、もったい ない気がした。ブラジルで暮らす限り、手帳は役に立たない。

 しかし今になって、手帳はまさかの時の安心感とも思う。「こん なに病気するとは思いもせんかったから」

 一一さんは十数年来、気管と肺を患い、すぐ肺炎になる。百合枝 さんは三年前、腹部の痛みに耐えかね、スザノ市内の病院で婦人科 手術をした。手術費は「日本に行く飛行機代くらい」の八千レアル (約四十万円)。  苦労して営んだブドウ園は売り払った。

 ▼空路も耐えられず

 渡日治療に招かれても、身体の調子のいい時だとそれほど必要性 は感じないし、悪い時だと丸一日の空路は耐えられない。だが、ブ ラジルで病院に通う余裕はない。

 だから、我慢するしかない。子どもの扶養家族として保険に入 り、最小限の通院をする被爆者も多い。しかし、山根さん夫妻に子 どもはいない。

 「少々のことでは医者にはかかれん。ひたすら安静にして過ごす んよ」  百合枝さんは左手首に、健康祈願のお守りをくくりつけている。


在外被爆者 願いは海を超えて


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「安静にして耐えるしかないねえ」。夫妻は多くの時間をソファで 過ごす(スザノ市内の自宅)
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