中国新聞
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第ニ部 米国編
 5 四つの故郷
 傷痕「日本人」の証し 流転人生 人道策望む




2002/07/18
  六月上旬、サンフランシスコのジャパンセンターで米国原爆被爆 者協会の相談会があった。マーク・ファンさん(76)は、自宅のあるサクラメントから百五十キロを車でやって来た。

 顔をさすった。「ほら、ここもここも」。いくつかの傷痕(あと)が残る。それが、被爆当時の「日本人」の証。

 米国籍のコリアンである。人生は、四つの「国」にまたがる。

 ▼上海から日本留学

 生まれ育ったのは中国上海だった。日本人学校に通い、難関だった留学試験に合格。長崎市の商業学校を経て、幹部候補生として東京の陸軍兵器学校へ入学した。現在の県立広島商業高(中区舟入南)にあった広島分教所で被爆した。

 翌日から実習のため大阪へ移動することになっていた。石段に座り、靴を磨いていた。ピカッと光り、驚いて建物内に戻ろうとした瞬間、ガラスが飛んできた。汗が流れたと思い顔をぬぐうと、血だった。

 九月、復員命令。まだ見ぬ故郷の朝鮮半島が独立したと聞いた。船に乗り、釜山に着いた。ソウルの親せきを頼った。上海の両親もソウルに引き揚げてきた。

 だが、ハングルはできない。企業への就職は難しく、韓国陸軍士官学校に入った。そして、朝鮮戦争―。

 ▼転勤先の米永住へ

 六〇年代、日本語の能力を買われ、海外進出が盛んになっていた日本の商社のソウル支店に勤めた。それから転勤で米国駐在に。豊かな国なら勉強も思う存分にできる。そう思って、根を張る決心をした。電子技術関係の会社へ転職した。

 「一生を終えるのはアメリカ。骨をうずめます」。娘二人と息子一人は、北カリフォルニアでそれぞれ家庭を持つ。

 三、四年前から、体は変調を訴え始めている。ひどい頭痛で眠れない。地元の病院は、保険の支出を抑えるためか、薬を処方するだけ。

 いくら米国の医療技術が進歩していても、被爆者にとっては日本での治療がいいと思う。九〇年に被爆者健康手帳を取り、自費で「里帰り治療」をしたこともある。

 コリアンとして反日感情はないのかと水を向けてみた。「良く聞かれますが…」。ファンさんは困った顔をした。

 「そんなにはないです。私は日本の教育で育った。その教養や作法は、私の一生ものです。ただ日本は、政府の政策が悪いと思います」

 在韓被爆者が日本政府を相手に健康管理手当の支給を求め、勝訴した裁判の経緯も、その後、国が控訴したことも、よく知っている。在米被爆者に対する政策も。

 ▼政府の冷たさ実感

 「どうして日本と韓国は仲良くできないのか。それに、国外にいる外国人はともかく、どうして日本国籍の人にまで冷たい処遇をするのか」

 いくつもの故郷を持ち、いくつもの海を渡った。その経験があるからか、国境や国籍にとらわれる政策は人道的見地に反すると思っている。ただ、淡々とした口調は最後まで変わらない。

 最近の楽しみは、自宅に設けた日本庭園の手入れ、と言う。

在外被爆者 願いは海を超えて





顔に残る原爆の傷あとを指すマーク・ファンさん(サンフランシスコのジャパンセンター)

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