中国新聞
在外被爆者 願いは生みを超えて
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2002/08/16
 
在外被爆者 企画「願いは海を超えて」を終えて
 叫び悲痛 支援急げ 
  
 企画「願いは海を超えて」は、七月二日付朝刊から連載四部計三十四回と特集三回で、在外被爆者問題を掘り下げた。終わりに当たり、担当記者三人がそれぞれの取材を振り返った。
 
米、南米 現地で実態把握を

 南米は本当に遠く、米国も広かった。連日、移動の車に何時間も揺られながら、海外の被爆者にとっての「幸せ」を考え続けた。国情も歩んだ人生も異なり、多様な価値観を持っているから。

 戦後、国の奨励で日本から移住した人が多いブラジルでは「棄民」の言葉をよく聞いた。パラグアイの被爆者たちは、原始林を開拓した大地での農業を満喫していた。

 他国より生活水準が高いとはいえ、米国の被爆者は、高額の医療費に悩まされていた。連載で紹介した沖さん夫妻は保険に加入していることもあって破産の心配はないものの、もし保険がなければ家計は底をつきかねない人もいる。

 三カ国で約五十人から、積年の思いのたけを聞いた。

 「渡日」を柱にした今回の日本政府の在外被爆者支援策は、おおむね不評だった。確かに、広大な国内移動もままならない高齢者に付き添いも付けず、長時間の飛行を強いる非情さは、自分が体験して初めて分かった。

 日本と違い、被爆者は周囲の理解が薄いマイノリティー。しかも、被爆者団体は必ずしも一枚岩ではなく、そこから外れた被爆者には支援策の内容すら伝わっていない。

 国があくまで人道的見地から支援すると言うなら、まず実際に出かけ、そうした実態を確認したうえで説明を尽くし、理解を得る姿勢こそが必要ではないだろうか。

 取材は多くの人の協力があってこそだった。感謝している。今も現地と連絡を取り合う。わずかの間に体調を崩したのか、切ないほどに言葉が出なくなった被爆者もいる。行政側の説明不足、行動不足、理解不足で、浪費する時間はもうないと思うのだ。(森田裕美)  

 
韓国 現実的解決策探れ

 ちょうど日韓共催のサッカー・ワールドカップ(W杯)で友好ムードにあふれていた。しかし、日韓のはざまで翻弄(ほんろう)された被爆者の人生を聞くうち、原爆の業の深さに胸が痛んだ。

 多くは、日本に植民地化され、職を求めて広島に渡った人たち。日本語を覚え、二世は広島で生まれた。が、原爆で家族や財産を奪われ、韓国への帰国を迫られた。

 「原爆が祖国独立を早めた」と言われる韓国では、被爆者への同情は薄かった。差別はある。帰国当初はハングルがわからなかった人も多い。朝鮮戦争で国土も荒れた。一九六五年の日韓基本条約で国家間の戦後補償はされたが、被爆者個人への補償はなかった。

 九〇年代、日本政府は人道的措置として計四十億円の基金を拠出。医療費補助や手当支給が実現したが、被爆者援護法がある日本との差は埋まらない。しかも基金は二〇〇四年には枯渇する。

 原爆孤児の女性に話を聞いていたときのこと。韓国での苦労を語っていた女性の目から突然、涙があふれた。「もう聞かないで…」。返す言葉はなかった。その後、広島で渡日治療中の韓国人女性を取材した時も同じ場面に出合った。

 日本政府は七月から約五億円の支援事業を始めた。しかし、渡日を前提にした内容に海外の被爆者団体が反発し、難航している。双方に言い分があり、溝は深い。

 膠着(こうちゃく)状態が続く間にも、心に傷を抱えた被爆者が次々に亡くなっていく。事業実施主体の広島、長崎県市を含め、一人でも多くの在外被爆者に救援の手が届くよう、現実的な解決の道を探ってほしい。(荒木紀貴)  

北朝鮮 怒りの矛先は「国家」だった

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に住む被爆者を取材して、あらためて気付かされた。彼らが怒りを向ける先は、あくまで日本という「国家」であること。そして、反核平和、被爆者援護を訴えてきた「ヒロシマ」が、必ずしも受け入れられていないことだ。

 日本の植民地政策に伴う移住や強制連行の果て、広島や長崎で被爆した。八十四歳のおばあさんは「日本人として被爆したのに、なぜ日本は今も差別し続けるのか」と、涙ながらに繰り返した。出会った被爆者が例外なく求めた「謝罪と補償」は、日本という国家に対してであり、日本の戦争責任と同義だった。

 ヒロシマへの期待の声は、ほとんど聞くことはなかった。逆に、被爆という苦難を強いた忌まわしき地、との意味合いで語られた。「何度も訴えてきたけど、広島が何をしてくれたのか」と、失望感も込められていた。

 国交がないのを理由に在朝被爆者の援護を避けて通ってはならない。ヒロシマは今こそ、日本政府や北朝鮮への働き掛けを積極的に行う必要がある。北朝鮮には、人懐こい広島弁で話す被爆者が確かにいるのだから。(城戸収)
日本政府の支援策をめぐり、在ブラジル原爆被爆者協会が開いた意見交換会(5月15日、リオデジャネイロの日系人会館)





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