よっちゃん


写真の弟に止まらぬ涙

被爆者から
三村十七子(みむら・となこ)さん(77)

 被爆死した両親を自らの手で焼き、行方不明の弟を捜し続けてきた。昨夏、広島市南区の似島で原爆死没者の遺骨が発掘されたのを機に、弟の遺影を見つけた。
若者へ
藤原佳音里(ふじわら・かおり)さん(25)
勝部知恵(かつべ・ちえ)さん(27)


 藤原さんは追悼祈念館の職員で、遺影登録の受付や体験記のデータベースを担当する。勝部さんは原爆資料館学芸員で、遺品の収集や企画展を担う。被爆者とひざを突き合わせてじっくり話すのは今回が初めて。



 
 広島市東区の三村十七子さん(77)は昨年夏、一枚の写真に巡り合った。十二歳で原爆に奪われた弟の好文(よしふみ)君。写真の中で「よっちゃん」は、ゲートルを巻き学生帽を手にして、級友たちの最前列に並んで座っている。

 女子挺身(ていしん)隊として武器の部品を造る工場で働いていた三村さんは、あの日は体調を崩し、爆心地から約二・三キロ離れた牛田町(東区)の自宅にいた。

 「姉ちゃんが休むなら、わしも休もうかのう」。旧制山陽中(現山陽高)一年生だった弟は、弱音を残して建物疎開先の雑魚場(ざこば)町(中区国泰寺町)に向かった。それが最後。遺骨も見つからない。自宅はその後、水害に遭い、弟の面影は稚児行列姿の幼い写真一枚に残るだけになった。

 観音町(西区)で被爆し逃げ帰った両親も、手の施しようのないまま息を引き取った。裏庭で焼いたという。

 五年前に夫の豊之さんを七十二歳で亡くし、沈みがちだった三村さんに昨年夏、弟の手掛かりが舞い込んだ。南区の似島での市の原爆犠牲者の遺骨発掘現場で、陶器製ボタンなど山陽中の生徒の物とみられる遺品が見つかったのだ。ボタンを保管する中区の原爆資料館に出向いた。

 学芸員の勝部知恵さん(27)が差し出した写真に好文君がいた。「おったー。よっちゃーん」。山陽中の入学時の集合写真だった。多くの同級生の中からすぐさま弟を見つけ、感涙にむせぶ三村さんを、勝部さんはそっと見つめ続けた。

 三村さんはその足で、近くの国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を目指した。よっちゃんの遺影を登録するためだ。ここでも弟を思う言葉の一つ一つが、職員の藤原佳音里さん(25)に響いた。

 年が明けて再び、三村さんは追悼祈念館に向かった。今度は親類宅で見つけた両親の遺影を登録するために。藤原さんが応対し、勝部さんも立ち会った。「涙のわけをもう一度聞きたい」。二人は三村さんの心の引き出しを開けた。




【写真説明】
「よっちゃん」の写真コピーを広げ、勝部さん(左)と藤原さん(中)に体験を語る三村さん(撮影・田中慎二)



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