被爆者と若者が対話を重ねる連載「ヒロシマを聞く」は、
若手記者が担当します。
若者たちとともに被爆者の肉声を聞き、体験継承の行方について
読者の皆さんと一緒に考えたいからです。

 




「あの日」に近づきたい 桜井邦彦(29)

 熱線に焼かれた衣服、遺髪…。原爆・平和の取材を通じ、さまざまな遺品に出会う。破れたり焦げたり、中には血痕が残る品もあり、当時を知らない私にも惨状を教えてくれる。だが同時に、それは「あの日」の一端でしかないのでは、との思いもぬぐえずにきた。
 「体験していない人が被爆の実相を理解するのは無理だ」。そう話す被爆者は多い。確かにそうかもしれない。遺品から想像をめぐらすには、原爆被害はとてつもなく大きすぎるから。
 だが、つらい体験を語る被爆者の肉声が、遺品が発する叫びにも重なる。そう感じ始めた。耳を澄ませ、一歩ずつ「あの日」に近づきたい。




語らいの中からヒント 門脇正樹(29)

 「やらされた」。広島の若者に原爆の話題を振ると、多くが小中学生で受けた平和学習を挙げ、こう切り出す。「原爆・平和にゲップしているの?」と問い掛けると、大半がうなずく。
 未発達の心が惨状を抱え切れなかったり、マンネリ学習に意欲をそがれたり…。継承の意義を理解しつつも、「方法が分からない」とジレンマに揺れている。残念ながら今の私は、それにうまく答えてやれない。
 同行した学生二人は、絵にこもる思いを素直にくんだ。満足げな森冨さんを見て、笑顔の対話でも「継承」はできると思った。ひざをつき合わせた語らいの中からヒントを見つけたい。




平和を願う「種」育てる 加納亜弥(24)

 普段は「平和」に関心が薄いけれど、八月六日午前八時十五分は少し特別な気持ちになる。原爆ドームとにぎやかな繁華街との対比に、五十九年前の壊滅から復興した広島を何となく誇りに思ったりもする。私自身も含め、そんな若者世代は少なくないだろう。
 どんなに小さく漠然としていても、その思いは平和を願う「種」だと思う。育てればいつか実はなる。育てなければ忘れ去られてしまう。
 私たちは、被爆者から直接、その体験を聞くことができる最後の世代かもしれない。取材で出会う同世代の若者たちと一緒に、自分の中のまだ小さな「種」を育てていきたい。



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