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 第1部 原爆小頭症患者は今

 終身保障

 支える親に老いの現実

■「援護十分か」国に問いかけ

 原爆小頭症の娘(59)と母(84)は昨年春から、知的障害者たちが通所・入所する広島市内の小規模施設に、一室を借りて暮らしている。北九州市から移り住み、間もなく十年。娘は施設の作業と週二回のプール通いが、何よりの楽しみとなった。

 「昔から友達をつくるのは上手だったんですよ」。輝きが戻った娘の笑顔に、母は優しいまなざしを向ける。

原爆小頭症患者の行く末を考えた集い。正面奥の斉藤さん(左)と村上教授(右)は、患者の終身保障が不十分な現状を報告した(6月9日)

 その母は―。「垣根」を乗り越えられないでいる。広島では被爆者への理解はある。だが、知的障害がある娘への周囲の視線はさほど変わらない。行政から毎月支給される原子爆弾小頭症手当は、障害者仲間との間にあつれきさえ生じる。

 「うちの子とどこが違うんかね」。そう問われると母は、答えに窮するという。娘は胎内で放射線に脳細胞を壊された。今なお後障害の不安と向き合う。「本当は違うと言いたい。けどね、境遇は同じなんですよ」

周囲に頼れず

 母は十九年前の転倒事故が原因で、つえなしに歩けない。さらに脳腫瘍(しゅよう)を患い、要介護の体となった今も、ホームヘルパーも介護保険制度もあえて利用しない。一人で娘を育ててきた意地が、周囲への甘えを自分に許さない。

 小頭症患者と家族でつくる「きのこ会」は今、活動をほぼ休止している。一九六七年、被爆との因果関係を国に認めさせ、金銭面の援護は得た。それは、求め続けた終身保障のかたちには及ばないものの、親の多くは亡くなり、健在であっても平均年齢は米寿に迫る。寝たきりの人もいる。それが厳しい現実だ。

 娘が、国から原爆小頭症に認定されたのは十六年前。患者の中では遅いが、最後の一人というわけではない。昨年十二月にも厚生労働省は新たに一人の患者を認定した。しかし、その所在は個人情報とされ、きのこ会にも知らされない。

 患者たちと二十年余り向き合う「きのこ会を支える会」代表世話人で宇部フロンティア大教授の村上須賀子さん(60)=医療福祉論=が問いかける。「国が起こした戦争のとどめに原爆があり、小頭症患者が生まれた。なのに国はこれまで、十分なことをしてきただろうか」

「灯灯無尽」を

 「灯灯無尽」―。広島市内で六月上旬にあった小頭症患者の行く末を考える集いで、支える会の会員で俳優の斉藤とも子さん(44)は、参加した約百五十人に、この言葉を投げ掛けた。ろうそくはやがて消える。でも燃え尽きる前に、次のろうそくに火を移せばいい。次から次へと―。

 母はその言葉をかみしめ、つえをつき、会場を後にした。寄り添うように娘は、後ろをついて歩いた。

(第1部おわり)

(2005.7.15)

「ヒロシマ60年 記憶を刻む」

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