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 第3部 追体験

 CGの空気感

 元住民と「被爆前」再現

■細部こだわり修正繰り返す

 窓から差し込む太陽の光で、調度品は微妙に色合いを変える。画面に描かれる緻密(ちみつ)なコンピューターグラフィックス(CG)を見ながら、被爆者の中沢昭夫さん(78)=広島県府中町=は、記憶の底にある戦前の茶の間の風景を絞り出す。「ちょっと違うかのう。口で表現せえ言われても、難しいんじゃが」

パソコン画面でCGの細部を入念にチェックする奥から米田さん、中沢さん、三輪さん(撮影・松元潮)

 広島市安佐南区、市立大の研究室。大学院生の三輪映さん(22)=同区=が、かすかに首をひねってパソコンのキーボードをたたいた。「僕は同じ風景を見ることはできない。あの時代の空気感というか、その表現が難しい」。画面の色を少し明るくしてみた。

爆心直下の古里

 原爆の爆心の直下に、細工町は広がっていた。現在は中区大手町一丁目と名前を変えたその一角に、中沢さんが幼少期を過ごした実家「クラブ化粧品」があった。

 「こせこせしてなくて平和な町じゃった。元安川でシジミやエビを捕ってよう遊んだ」。見上げればいつも、広島県産業奨励館のドーム型屋根があった。路地で鬼ごっこした。表通りは病院や郵便局が軒を連ね、静かなたたずまいだった。

 奨励館の屋根の骨組みを残し、原爆は町を焼き尽くした。特攻兵として広島を離れていた中沢さんが終戦直後の八月十九日に帰郷してみると、一緒に遊んだ友の死の知らせが待っていた。

 その細工町の被爆前の町並みを三次元CGで復元しているのが、産学官プロジェクト「ヒロシマ・グラウンド・ゼロ(爆心地)」。市立大などの大学や映像制作会社が協力し、ハイビジョン作品として今年秋の完成を目指す。中沢さんたち元住民の証言を基に記憶を形にしていく試みは、原爆の非人道性を浮かび上がらせる狙いがある。

 市立大研究室で中沢さんは「たびたび直してもろうて申し訳ない」と三輪さんに頭を下げた。「大丈夫。映像は記憶に近づいてきとるよ」

「今でなければ」

 卒業した先輩から今年四月にCG作業の一部を引き継いだ三輪さん。神戸市出身で、原爆への特別な感情はなかった。被爆体験を聞いたこともなかった。六十年前の生活感をどう画像に織り込むか―。部屋全体と机の大きさのバランスとか、家具の色合いとか、細部にこだわるしかないと考える。画像を作っては直す作業を丹念に続ける。

 映像制作会社社員の米田千春さん(25)=西区=は、元住民たちの聞き取りを担当する。これまでに約二十人から被爆前後の町の様子を聞いた。

 苦労して捜し出した証言者に「どうせ風化する」と断られたこともあった。会うたびに記憶が薄れる人もいる。「記憶を残すための鍵となる人たちが老いていく。それは怖いこと。今でなければ、CGはできない」

 聞き取りを通じて米田さんは、世代の差を超えて誰もが共感するのは「愛する人を奪われた痛み」と気付いた。それなら自分の言葉で記憶を代弁できるかもしれない。そう思い始めている。

(2005.7.30)

「ヒロシマ60年 記憶を刻む」

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