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原発事故20年 チェルノブイリに暮らす > 連載 > 見捨てられた村
見捨てられた村
小さなひとみ 復興目指す希望の象徴 ('06/4/22)

 ローマンは七歳。チェルノブイリ原発事故による放射能汚染が深刻なベラルーシ南部のグバレービッチ村に住んでいる。朝、同居取材しているナージャ(72)の家の前で歯を磨いていると、学校に向かうローマンに会う。人懐こい笑顔で、いつも手を振ってくれる。

 ベラルーシ人の母バレンチーナ(42)は八年前、嫁ぎ先のウクライナを出国した。当時の夫とともに職を求め、ベラルーシの別の街に戻ってきた。その後、数年してこの村から避難した親類の空き家に転がり込んだ。

 バレンチーナは近くの製乳工場で働いている。四年前に再婚したウクライナ人のドミトリー(34)は運転手だが、一時雇いなのか、給料が安い。家を訪ねると、その貧しさのためか、家財道具はほとんどなかった。

 「飲んだくれの前夫が悪いのさ。地道に頑張りな」。ナージャが声を掛ける。ローマン一家に食料を分け与えるなど、何かと世話を焼いている。

 ▽不安あるが…

 卓上に牛乳の入ったビンが置いてあった。この村のあるホイニキ地区では、放射線への感受性が高い子どもに地元の牛乳を与えていない。放射能に汚染されているかもしれない村の牛乳を、幼いローマンに飲ませているのだろうか。

 「放射線の不安はあるが、考えても仕方がない」。汚染地の取材で聞き慣れた言葉が返ってくる。気がめいった。

 ローマンや、ナージャの孫のセルゲイが通う、村から五、六キロ離れたストレニチボ村にある学校を訪ねた。事故後、生徒が激減して一時閉鎖されたが、二〇〇四年末に再開した。約二百二十人が通っている。うち半数は旧ソ連の共和国からの移住者の子どもたちだ。

 各クラスを回り、広島から来ているのだと紹介される。興味深そうに見つめる子どもたち。その笑顔が印象的だった。事故の後遺症に苦しみながらも、復興を目指す希望の象徴のように見えた。

 だが、ある日―。ローマンのためにと街で買った文房具を手渡しに行こうとナージャの家で用意していた時だ。母のバレンチーナが涙目でやって来た。夫のドミトリーが長い間、外国人登録を怠ったため、一週間後に国外退去になるという。

 ▽国際的に孤立

 ベラルーシが国際的に孤立を深めている影響なのか、最近は取り締まりが厳しいらしい。「だから、早く登録するよう言ったんだ」。ナージャは厳しい表情で繰り返す。事情が分からないローマンだけが笑っていた。

 「夫は一年半は再入国できない」。バレンチーナは、ぼうぜんとした表情で訴える。夫から「妻子を連れて帰りたい」と求められているが、国内の親類の所に母子で身を寄せるべきなのか、悩んでいるようだった。

 幼いローマンには、汚染された村を出てほしいと願っていた。しかし、一家離散の危機が、その願いをかなえそうな状況もつらい。一家のその後は、分からない。

 ◇

 村を去る日が来た。セルゲイにコンピューターを買う足しにと、ナージャに宿代を渡した。「あんたたちは生活に困らないか」と真顔で心配してくれる。「また来ておくれよ」。泣きながら言う。「ダー(はい)」。そう答えたかったが、黙って手を振った。

 疎開を拒否し、汚染地にとどまる人たちは「サマショール(わがままな人)」と呼ばれる。いとしき故郷を捨てられないことと、放射能で大地を汚染することのどちらが「わがまま」なのだろうか。そう考えながら、小さな村を後にした。〈敬称略〉(滝川裕樹、写真も)

 「見捨てられた村」はおわります

【写真説明】一家離散の危機に表情がこわばるバレンチーナ(左)とドミトリー夫婦。事情の分からないローマンだけが笑顔だった


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