▽高齢化で決断31人思いつづる
原爆で廃校になった母校を語り継ごうと、広島市中区猫屋町にあった光道国民学校卒業生の福間駿吉さん(78)=同市西区庚午北=たちが、1997年から毎年同窓会報を発行し、今年の14号で最終号になった。乏しい資料と生存者の証言で校史を発掘し、会報に掲載。最終号は31人の被爆体験記を収めた。
同窓会報「光道」はA4判大。最終号は48ページあり、「我が同窓の8月6日=被爆証言特集」を組んでいる。
妊娠中に被爆し、一時止まっていた胎動を再び感じた時の喜びを書いた36年卒の女性、祖父母、父母、姉の全員を一気に失った44年卒の男性たちが思いを切々とつづっている。
戦時中、光道国民学校と呼ばれた同校は、浄土真宗の教えを基礎にした私塾が前身の私立広島光道学校。1879(明治12)年に設立され、1学年1学級の小学校と、幼稚園を運営したが、原爆で教職員や支援者の多くを失い、45年11月、廃校が決まった。
88年に光道学校の同窓会が結成。光道国民学校を44年に卒業した福間さんは、43年卒の松本正さん(79)=横浜市=と、当時の写真や日記、手紙などを集めて会報に載せ、同窓会で配布した。しかし関係者の高齢化で発行に終止符を打った。
福間さんは「母校を消された寂しさを埋めたかった。光道学校を多くの人に知ってほしい」と話している。(編集委員・串信考)
【写真説明】同窓会報を前に、広島光道学校の歴史を語る福間さん
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