'99.5.25    


     米の放射性廃棄物隔離プラント 

核開発 負の遺産 灰色の“完全封印”


 核時代の扉を開けた広島、長崎への原爆投下。それに続く米ソ冷戦下での激しい核開発競争・・・。膨大な数の核兵器生産は、旧ソ連はむろん、米国にも核時代の「負の遺産」である大量の放射性廃棄物を地上に残した。米国ではその多くが核兵器関連施設の敷地内に保管されているが、三月末、エネルギー省(DOE)がニューメキシコ州南東部の岩塩層に造った国内初の永久貯蔵所「廃棄物隔離パイロットプラント」(WIPP)への一部搬入が始まった。環境保護団体などの反対を押し切って開所したWIPP。負の遺産解消への期待と、環境汚染への不安が交錯する中、搬入開始からほぼ三週間後の地下施設を垣間見た。

田城 明・写真も
廃棄物隔離パイロットプラント略図
( The Waste Isolation Pilot Plant )
廃棄物隔離パイロットプラント略図

contents
核のごみ 地下で永久貯蔵('99.5.28)
処理量わずか1.9パーセント
圧力による浸出/搬送中の事故
WIPP関連年表


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プルトニウム汚染物質

 米国では放射性廃棄物を「高レベル」「低レベル」、そして一般に防護服や道具、スラッジや土壌などがプルトニウムやアメリシウムなどで汚染された「トランスウラニック」(TRU)と呼ぶ3種類に大別している。

 今回、廃棄物隔離パイロットプラント(WIPP)が受け入れるのは、1970年以降、地上に保管されているTRUと、今後35年間に核兵器関連施設で新たに生み出されるであろうTRUなどである。一般にTRUは、主要汚染物質の名を取って「プルトニウム汚染物質」とも呼ばれる。

米国の主な核施設と放射性廃棄物輸送ルート
photo WIPP(左側建物)へ放射性廃棄物を運ぶ専用トラック。サイロのような形をしたステンレス性の特殊容器は高さ約3メートル、直径約2.4メートル。3重構造になっており、一番中に汚染物質を詰めた約200リットル容器のドラム缶14個が並ぶ

655メートル、大深度地下 たわむ岩塩層の壁

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岩塩排出シャフト(直径約4.6メートル)に設置されたリフトを利用して地下655メートルの入り口へ。大人が5人も乗るといっぱいになる
 ニューメキシコの州都サンタフェ市から南東へ車で約五時間。DOEカールズバッド地区事務所を訪ねると、広報担当のジェイ・リーズ(37)さんが「案内しましょう」と、約四十キロ離れたWIPPへ向け車を走らせた。

 リーズさんは施設の運営をDOEと契約するウェスティングハウス電気会社の従業員である。「ここは塩水湖、その向こうに見えるのが肥料に使う塩化カリウムの採掘場・・・」。油田採取のポンプも見える。砂漠地帯を走って二十分足らず。「この一帯は天然ガスを含め地下資源が豊富でね」

 「そんな所にどうして核廃棄物施設を造ったんですか」

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WIPPに搬入されたプルトニウム汚染廃棄物。前方は3重構造の一番外側のふた。後方の灰色の容器の中に廃棄物が納まる
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ロスアラモス国立研究所から、専用トラックで搬入された2回分のプルトニウム汚染物質。天井近くには、万が一水が浸透した際に、水を吸収する性質がある酸化マグネシウムの粒子が入った容器が置かれている。部屋は高さ約4メートル、幅約10メートル、長さ約90メートル
 「密封性の高い岩塩層のここが、やはり一番安全だからですよ。環境保護局のお墨付きですから」

 会話を交わしているうちに、間もなく茶色のビルが並ぶWIPPへ。施設概要についてリーズさんから説明を受けた後、照明付きのヘルメット、腰には重いバッテリー、事故の際の人定用に真ちゅう性の番号札を身に着ける。地下への旅たちである。

 一九八一(昭和五十六)年に最初に掘られたという岩塩排出シャフト。その内部に設けた人の運搬にも使うリフトは、金属音を響かせながら、暗やみの中を下降した。

 地下六百五十五メートルまで二分半。降り立った通路は、意外と広い。カートに乗り、既にロスアラモス国立研究所からの廃棄物が貯蔵されている「パネル1」の奥にある「ルーム7」を目指した。

 距離にして約八百五十メートル。途中、何度かステンレス性の厚い扉を開閉しながら進む。その度に通行を知らせるベルが鳴り響く。「この岩塩層は二億五千年前から変わっていない。とても安定しているんだ」。むろん、空洞ができると四方からの圧力で収縮が始まる。床や天井のたわみが素人目にもはっきり分かる。このため、実際に掘っているのは、パネル1だけである。

 「ここがそうだ。放射線被曝(ひばく)の心配はないけど、カートから降りないでほしい」。鈍く光るステンレス性容器から十メートルほどの位置にカートを止めた。紙一枚でも遮ることのできるア ルファ線を放出するプルトニウム汚染物質。半減期は二万四千年と長いが、空気や食物などを通じて体内に吸収しない限り安全だという。

 十二年前に完成したルーム7。だが、住民による反対訴訟などで搬入が大幅に遅れた。この間、部屋の床や側面は何度も削られ、天井には落下防止のために無数のボルトが打ち込まれていた。

 「WIPPには計八つのパネル、五十六室が予定されている。パネル1が満杯になると完全に密封する。その間に順次、次のパネルを準備する」。計画では、三十五年間に専用トラックで三万八千回搬入、新しく産み出される廃棄物を含め計約十七万五千六百立方メートルに達する。

 「八十年から二百年の間に核のゴミは岩塩と一緒になって封印される。だれかがつついたりしない限り、地表にも地下水にも流れ出すことはない」

 確信に満ちたリーズさんの言葉。しかし、その言葉に保証を与えることができるのは、何百年、何千年先の世代だろう。


photo 大型の掘削機で岩塩を削る作業員。土や酸化鉄を多く含んだ部分の岩塩は、灰色やオレンジ色をしている(写真・左) photo
2億5千万年前に形成されたといわれる岩塩層を掘削してできた高さ約3.5メートル、幅約5メートルの坑道。天井には電気配線や圧縮空気を通すパイプが走る。この坑道と並行して造られた廃棄物搬入用の坑道は一段と広い(写真・右)


処理量わずか1.9パーセント

各地の埋設分や汚染土は対象外 全米23ヵ所から搬入

 第二次大戦中の「マンハッタン計画」開始以来、米国ではこれまでにどれだけの放射性廃棄物が核兵器開発の過程で生み出されたのだろうか。

汚染建物含まず

 一九九五年のエネルギー省(DOE)のまとめでは、ハンフォードやオークリッジ国立研究所など十カ所の主要核兵器施設を中心に、全米二十三カ所を合わせ約三百九十八万一千三百立方メートルに達する。この中には、放射性廃棄物を地中に埋めたために二次汚染された土壌や、火災で汚染された建物自体は含まれていない。

 廃棄物隔離パイロットプラント(WIPP)に搬入される既存の量は、トランスウラニック(TRU)と呼ばれるプルトニウム汚染物質の約七万七千立方メートル。全体の一・九パーセントにすぎない。TRUには七〇年までにドラム缶などで地中に埋められた約十四万一千立方メートルの廃棄物があるが、これらは技術的な問題もあり、搬入対象となっていない。

 WIPPの八個のパネル、五十六室全体の収容量は十七万五千六百立方メートル。今後三十五年間、各地の核施設から専用トラックで三万八千回搬入して満杯になる予定である。つまり、残りの約十万立方メートルのスペースは、新たに核兵器を製造する過程で生まれるであろうTRUの収容に充てられる、とみられている。また、六九年のロッキーフラッツの火災で、建物全体がプルトニウムに汚染されたビルの残がいなどの搬入も計画されている。

 では、残りの放射性廃棄物はどうなるのか。

 例えば、核施設の中で最も放射性廃棄物が多いハンフォードでは、搬入対象のTRUが約一万一千七百立方メートルに対し、施設内に埋められたTRUは六万三千六百立方メートルと五倍強にもなる。使用済み核燃料など高レベル(二十三万三千五百立方メートル)のものなどを合わせ全体の廃棄物は、約九十四万七千七百立方メートル。WIPPへの搬出量はわずか一・二パーセントである。

対策費4千億ドル

 長崎型原爆を造り、八〇年代後半までプルトニウム製造の中核施設としての役割を担ったハンフォード。この巨大核施設一つを見ても、WIPPが放射性廃棄物処理の救世主≠ニいうにはほど遠い。ハンフォードの現実は、逆に、核時代の「負の遺産」の大きさを人類に突きつけていると言えるだろう。

 「国内の放射性廃棄物の汚染除去対策に、今後七十五年間で最大三千九百億ドル(約四十六兆八千億円)が必要」―ホワイトハウスの特別チームが九六年にまとめた試算が、ツケの大きさを裏付けている。

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圧力による浸出/搬送中の事故

反対住民ら危険性指摘

 「廃棄物隔離パイロットプラント」(WIPP)に反対する住民は少なくない。訴訟を起こしてきたニューメキシコ州サンタフェ市にある「核の安全性に関心を寄せる市民」(CCNS)のジョニー・トレンズさん(44))や、同州アルバカーキ市の「南西研究情報センター」(SRIC)のダン・ハンコックさん(51))らは、問題点をこう指摘した。

 その一つがWIPPの周辺には、石油、天然ガス、塩化カリウムの埋蔵量が多いこと。現に多くの採掘が行われており、遠い将来、放射性廃棄物の存在を知らずに採掘する可能性があるという。二つ目は貯蔵所の下方にある太古からの圧力塩水が、何らかの影響を受け、廃棄物を上層の地下水や地表まで噴き上げる可能性があること。

 このほか、各地の核施設からWIPPに放射性廃棄物を運ぶには、計二十二州の高速道などを通過しなければならず、事故の危険性が高い点を挙げる。さらに、WIPPにプルトニウム汚染物質を運んでも、ごく一部にすぎず、それぞれの核施設の安全性が高まるわけではないと説明する。

 「より危険なのは、一九七〇(昭和四十五)年以前に浅い地中に埋められた膨大な放射性廃棄物。ハンフォードやサバンナリバーなどでは、既に地下水や川の汚染がいわれながら、これらは処理対象に入っていない」とトレンズさんは、エネルギー省の廃棄物処理政策を批判した。



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≪ WIPP関連年表 ≫
1956年米学士院が地質調査し、放射性廃棄物の永久貯蔵地として岩塩層を推薦。
1970年原子力委員会(現エネルギー省・DOE)が、カンザス州ライオンの岩塩層を選択。2年後、石油などの天然資源が豊富であることなどから中止。
1975年カールズバッドから東へ約40キロの現在地を調査。
1979年米下院議会が核兵器関連施設から出る放射性廃棄物の投棄用にWIPPを認可。
1981年最初の実験的シャフトの掘削開始(岩塩排出シャフトとなる)。
1983年DOEがWIPPの全面的な建設推進を決定。
1985年米環境保護局が、WIPPに対し放射性廃棄物投棄に関する基準を発令。
1989年WIPPの建設完了。
1997年環境保護局が「WIPPは放射性廃棄物処理基準に合致」と判断。
1998年WIPPが1万年にわたり放射性廃棄物を安全に管理できるとの許可を与えた環境保護局に対し、ニューメキシコ州の検事総長と同州の3つの環境団体が提訴し、反論。
1999年ワシントンの連邦裁判所と上訴裁判所が3月24日、WIPPへの搬入を遅らせようとする環境保護団体の訴えを拒否。同月26日に第1便がロスアラモス国立研究所から到着。

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