≪ウラル放射線医学研究センター(URCRM)≫

 マヤーク核施設からの放射能放出で被曝した周辺住民の長期観察を続ける唯一の機関。テチャ川流域のヒバクシャ登録は1967年に開始。同流域の38の村に住む住民2万8千人のほか、その後の転入者を含め約9万人を登録した。この中には汚染地域居住者の子どもや孫2万5千人も含まれている。

 長期間被曝した流域住民2万6千5百人を対象にした追跡調査では、急性白血病と慢性骨髄性白血病の増加が顕著。消化器系のがんや女性のがんなども増えている。

 先天性障害など遺伝的影響については、今のところないとしている。これに対し、地域医療関係者らは「死産児の登録が不十分」など疑問を呈している。また、53年から60年までに避難した7千5百人の避難民について、登録されていないなどの不備も指摘されている


Top page放射能用語BackNext
21世紀 核時代 負の遺産


 [2]
 認定されても補償少額

 小さな体に、頭囲六十センチの大きな頭。一枚の古びた写真に納まった四歳のラムジズ・ファイズーリンちゃんは今、十七歳にまで成長、水頭症による頭の大きさがそれほど目立たないまでに体が発達した。親の被曝(ばく)による遺伝的影響と認定されたヒバク二世である。

 「息子の異常は生まれたときには気づかなかった。でも、十カ月から二歳までに頭だけが大きくなってね。体も弱く、歩くこともできないから長生きできないと思っていたよ」。農作業から家に戻ったばかりの母親のラシダさん(54)は、居間にいる二男のラムジズさんに寄り添いながら言った。 

(左)「外国から放射性ゴミを持ってきて、ぼくのようなヒバクシャをつくってほしくない」と、昨年12月、プーチン大統領に手紙を出したラムジズ・ファイズーリンさん。母親のラシダさんも「放射能はもうたくさん」と力を込める(新クルマノボ村) (右)4歳のときのラムジズさん


 旧ソ連で最初の兵器用プルトニウムを生産し、操業開始の一九四八年から五六年まで大量の高・中レベルの放射性廃液をテチャ川に投棄したマヤーク核施設(チェリャビンスク65)。

 ファイズーリンさん一家ら約八百人が暮らす新(ノーボエ)クルマノボ村は、マヤークから東へ直線で約八十キロ。かつてテチャ川沿いにあって、五九年から六〇年にかけて汚染のために離村を余儀なくされたクルマノボ村からの避難者の村である。

 農業を営む父親のザイムラさん(59)は、クルマノボ村で生まれ育った。ラシダさんはクルマノボより約二十キロ上流にあるムスリュモボ村の出身である。心臓病などの病気を抱える父親は「慢性放射線障害」を患う認定ヒバクシャである。が、避難地域からはずれた母親は、ヒバクシャとして認められていない。

 二人は六七年に結婚。ラムジズさんのほかに、チェリャビンスク市で働く三十三歳の長男と三十歳の長女がいる。

 「長男は血中のヘモグロビンが少ないし、長女も良性だと言われているけど、女性器官に腫瘍(しゅよう)が見つかっている。心配だけど、ラムジズに比べれば…」。ラシダさんは日焼け顔に憂いを浮かべた。

 法律を知らなかったため、ラムジズさんが九歳になるまで身体障害者手当をもらえなかった。「放射能」という言葉を初めて耳にしたのは九三年のこと。チェリャビンスク市の市民グループに勧められ、血液検査など専門医の診断書などをそろえ、九七年、ヒバクシャを認定するチェリャビンスク州の専門家委員会に書類を提出した。

 病院関係者や放射線研究者、行政機関などでつくる同委員会は、ラムジズさんの水頭症が、父親の被曝に起因すると認定。翌年五月にヒバクシャ手帳を手にした。

 しかし、チェルノブイリ原発事故に準じた補償金はわずか。一カ月三百ルーブル(約千三百五十円)の薬代と同額の生活費補助。無料のバス乗車。月額五百四十五ルーブル(約二千四百五十円)が支給される身体障害者手当を少し上回る程度である。

 「ラムジズはいつも頭痛を抱え、高血圧のために目も痛む。高い薬を使っているので、それだけでお金がなくなります」とラシダさん。

 ラムジズさんは現在高校二年生。学校だけでなく、より高度な二年間の通信教育も受ける勉強家だ。「将来は心理学を学んで、悩みを抱える子どもたちをサポートしたい」と夢を膨らます。が、一方で「今より体が弱くなると将来が心配。痛みが出るとがんではないかと気になってしまう」と、体への不安は消えない。 


 マヤーク核施設から南へ約三十キロ。人口約四万五千人のアルガヤッシュ地区に住むアリーナ・カリモワちゃん(5つ)は、被曝による遺伝的影響が認められたヒバク三世である。

 美しい湖面がすぐそばに広がる自宅を訪ねると、母親のグザリさん(27)と一緒に、無邪気におもちゃで遊んでいた。

(上)アリーナちゃんを抱き、自宅そばの湖畔を散策するグザリ・カリモワさん。「娘はまだ3歳児の大きさしかなくて…」(アルガヤ ッシュ地区)  (下左・右)祖父の被曝の影響と認定されたアリーナちゃんの両手と右足の障害

 アリーナちゃんは両手と右足に障害をもって生まれた。人さし指や中指などが短かったり、くっついていた。右足が左足よりも短く、曲がってもいた。誕生二カ月目と二歳のときに受けた手術で、ゆっくりとなら歩けるようになった。くっついていた手の指も手術で離した。

 「医科専門学校で放射線の遺伝的影響について学んだわ。でも、自分の身の上に起こるなんて思ってもいなかった」と、グザリさんは出産時の戸惑いを打ち明ける。

 グザリさんの父チェミルバイさん(52)は、マヤーク核施設にほど近いテチャ川沿いのアサノボ村の出身である。五六年、当時七歳の少年は理由も分からぬまま家族と一緒に現在地に移り住み、後に地元の女性と結婚。医師として地区病院で働く。本来は外科医だが、皮膚のアレルギー症や心臓病などのため、内科医として勤務。認定ヒバクシャでもある。

 グザリさんも甲状腺(せん)異常や貧血症などの診断が下されているが、まだ認定申請はしていない。

 「ともかく娘が認定されて、補償金を将来の手術費に役立てることができれば…」。そんな思いで父親の被曝証明書やアリーナちゃんの血液の遺伝子分析結果などの書類をそろえて、州の専門家委員会に提出。昨年十一月、「祖父がアサノボ村に住んでいたため、遺伝上の病気になった」との認定が下った。

 今年一月に離婚したグザリさんは、現在、バシキール大学アルガヤッシュ校で秘書を務める傍ら、ウファ国立大学生物学部に籍を置き、通信教育で学ぶ。

 「成長が遅れているアリーナのことが一番心配。もっと勉強して、経済的にも今以上に自立をしないと…」。グザリさんはアリーナちゃんを抱きしめながら、自分を励ますように言った。

 アリーナちゃんやラムジズさんに限らず、テチャ川沿い住民の子や孫らに先天性異常や病気がちの子どもたちが目立っているという。地域医療に従事する医師やヒバクシャ救済に取り組む地元民らの一致した見方だ。 


「より確かな裏づけを」―。そんな思いで、マヤーク核施設周辺住民の健康調査を長年続けてきたチェリャビンスク市内のロシア保健省所轄「ウラル放射線医学研究センター」を訪ね、上級研究員のガリーナ・ベレメイバさん(32)に聞いた。
体内被曝の影響について語るガリーナ・ベレメイバさん(チェリャビンスク市)

 「テチャ川流域の汚染で一番問題なのは、セシウム137とストロンチウム90。半減期が三十年、二十九年とそれぞれに長いうえに、体内に取り込むとセシウムは筋肉に、ストロンチウムは骨に蓄積される。特にベータ線を放出するストロンチウムはいったん体内に入ると、生涯影響を与え続ける」

 ベレメイバさんの専門は放射線生物学。放射線による細胞レベルでの病気のメカニズムなどを追究する。広島の放射線影響研究所にも、これまで二回訪れ研修を受けた。自室のパソコンを前に彼女は、「個人的な見解」と断った上で説明を続けた。

 「主として外部から大量の放射線を一度に浴びた広島や長崎の被爆者と違って、ストロンチウムなどで恒常的に内部被曝を受けている人たちの場合、造血機能に悪影響を与え、先天性異常や免疫機能の低下につながる細胞を生み出している可能性は高い。ヒバク二世が適齢期を迎え、これからは三世への影響についても一層注意を払っていかなければならない」

 広島と長崎の被爆二世の健康調査・研究からは「現時点では、その影響はみられない」というのが定説である。しかし、被曝形態が違うとき、必ずしも広島・長崎の経験が当てはまらないことをマヤーク核施設による汚染が示していると言えよう。

 
マヤーク核施設



被曝の影響 次世代に
map

 
Top page放射能用語BackNext