第1部 シンデレラ・キッズF

2006.03.27
 ☆シックスマン☆    光る守備 控えの切り札 
 
1944年、全米大学選手権を制したユタ大は「シンデレラ・キッズ」と呼ばれた。中列左から3人目、(21)がミサカ(本人提供)

 バスケットボールで最も期待できる控え選手を「シックスマン」(六人目の男)と呼ぶ。全米大学選手権(NCAA)で優勝した一九四四年、ユタ大のワット(本名ワタル)・ミサカ(82)は先発メンバーではなかった。

 NCAAの決勝を前に、身長七フィート(約二一三センチ)のセンタープレーヤーが足首をねんざした。試合開始から数分後、バダル・ピーターソン監督はミサカに交代出場を命じた。

★「周りに活力」

 身長五フィート七インチ(約一七〇センチ)。バスケット選手として身長は低いものの、読みの鋭さと豊富な運動量を誇る守備が光った。チームメートのハーブ・ウイルキンソン(82)は「ボールを渡さない、パスを回させない守りをした」と思い出す。

 一年生主体のチームを支えるリーダーシップも持ち合わせた。最優秀選手に選ばれたアーニー・フェリン(80)は「ワットのように、みんなを引っ張る選手がいるとチームが一つになる。周りに活力を与えた」。

 言葉で表すタイプではない。バスケットを見る目が肥えたニューヨークの観客も沸かせるファインプレーで引っ張った。ユタ大の試合のチケットは、すぐに売り切れたと、フェリンは記憶している。

 守備の名手で、チーム内の信頼も厚い。先発に名を連ねてもおかしくなかった。「日本との戦争中だったからね」とミサカは言葉を選びながら、付け加えた。「でも、反日感情がアリーナを包むことはなかった。ニューヨークはいろんな人種がいるから」。温かい拍手が励みになった。

★海を越え朗報

 NCAA決勝までの試合で、ミサカの出番は短時間だった。身長が低いのも理由の一つ。ウイルキンソンは「ワットのマークに背が高い選手が回ってきたときは、ポジションをチェンジしてフォローしたよ」と言う。このシーズンで最も長くプレーした試合は、NCAA決勝だったという。

 延長戦で優勝したニュースは海を越え、ヨーロッパ戦線へも伝わった。オグデンハイスクール(高校)とウイバーカレッジを通じての後輩、ラッサル・ソーン(81)は「舞い上がったよ。何もない故郷が全国一になったのだから」。戦地の米ユタ州出身者たちにも勇気を与えた。

 決勝でのミサカの得点は4点にすぎない。各新聞の紙面は戦争報道で一色に染まりながらも、スポーツ面には途中出場した「ジャパニーズ・アメリカン」の守備力を高く評価する記事が相次いだ。シックスマンだった「ワット・ミサカ」の名前は、瞬く間に全米へ広まった。 <敬称略>=第一部おわり



8月19〜24日 世界バスケ1次リーグ広島開催