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「再生 安心社会」

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第3部 司法の現場で

1.衝撃

−「少年院意味なかった」−

 「まさかあんな事件を…。私が知っている彼とは違うんです」。山口県弁護士会の内山新吾弁護士(47)=山口市=は無念をにじませる。

▽矯正可能と判断

 「彼」とは、大阪市姉妹刺殺事件で昨年末、死刑判決を受けた山地悠紀夫被告(23)。内山弁護士は、山地被告が二〇〇〇年七月、山口市の自宅で母親をバットで撲殺した事件の少年審判で付添人を務めた。

 「死にたい。弁護士はつけない」。初めて会った時はかたくなだった。しかし面会のたびに少しずつ、自分や両親、将来について話し始めた。

 「変化は驚くほど。立ち直りを感じた」。山口家裁は「矯正は十分可能」と判断し、少年院送致の保護処分を決めた。

 岡山少年院(岡山市)の山地被告と手紙を十数回やりとりした。差し入れた本の感想などをつづり、将来の夢は書店の店員と書いていた。

 「弱さもあるが思いやりもある素直な普通の子ども。結婚して子どもがほしいとも」

 一方、〇三年十月の仮退院直前の面会では復帰は少し早いと感じた。「母殺しはやむを得なかった」とする自己弁護の発言が気になった。

 定期的に診察した精神科医師は、対人関係の構築が困難な「発達障害」と指摘した。再び殺人を犯す可能性について医師に尋ねられ「ゼロではない」と漏らしたという。

 仮退院後の身元引受人はいなかった。自力で下関市のパチンコ店に就職した。無遅刻、無欠勤。〇四年四月、事務所に内山弁護士を訪ねてきた時には、まじめに働いているように見えた。不安は少し和らいだ。

 だが〇五年末、大阪市の姉妹を刺殺、暴行し、放火した凶悪事件の容疑者として逮捕された。記事に目を疑った。一年半ほど連絡が途絶えた間、山地被告は道を踏み外していた。パチンコ店で不正に稼ぐ「ゴト師」グループに加わり各地を放浪。そして「殺人の快楽」(精神鑑定書)の中、見知らぬ二人を手にかけた。

▽4人に1人再犯

 昨年五月の公判で、山地被告は「少年院は何の意味もなかった」と強調した。冷酷な手口と動じない横顔が何度も報道され「人を殺したい欲求があった」という言葉に全国が凍りついた。

 死刑判決後の十二月二十四日。山地被告から短い手紙が届いた。「生まれてくるべきでなかった」とあった。

 「人前で悪ぶり、開き直る傾向があったが…。世間を震撼(しんかん)させた殺人者にはとても思えないんです」

 法務省によると、少年院を退院した少年のほぼ四人に一人が、五年以内に再び少年院か刑務所の門をくぐる。「少年院を出た後、周囲がきちんと見守り、更生機関が密な連携をしていれば…。頼る人が身近にいない少年は少なくない」。内山弁護士は今も悔やみ切れない思いでいる。(久行大輝)


大阪姉妹刺殺事件 2005年11月17日、大阪市浪速区の飲食店店員=当時(27)、大学生=同(19)=の姉妹が自宅マンションで刺殺、暴行され、部屋に放火された。大阪府警に強盗殺人容疑で逮捕された山地悠紀夫被告は調べに「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」などと供述。昨年末に大阪地裁で死刑判決が言い渡された。被告は2000年7月、山口市の自宅で母親=当時(50)=を金属バットで撲殺。中等少年院に送致され03年10月に仮退院していた。

2007.1.28