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「再生 安心社会」

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第3部 司法の現場で

4.岐路

−量刑基準 世間とずれ−

 広島などで三十年余り裁判官を務めた増田定義弁護士(69)=広島弁護士会=は、広島市安芸区の木下あいりちゃん事件で一審判決を言い渡した裁判官の心中をこう推し量る。「量刑基準と遺族感情との板挟みだ。相当悩んだだろう」

▽苦渋にじむ判決

 昨年七月、殺人などの罪に問われたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(34)の判決公判。広島地裁は検察側が求刑した死刑ではなく無期懲役を言い渡した。一方で「仮釈放は可能な限り慎重に」と異例の意見も付け加えた。増田弁護士は「裁判官の苦渋の思いがにじみ出た言葉だった」と振り返る。

 自身も裁判官時代、死刑適用が焦点となる強盗殺人事件を担当した。判決は死刑。「確信を持って死刑にしたが、内心は被告に上級審の判断も仰いでほしいと思った。控訴した時は正直ホッとした」。人が人を裁く重さをあらためて痛感したという。

 死刑の場合、連続射殺事件の永山則夫元死刑囚に対する最高裁判例がある。「永山基準」と呼ばれる。あいりちゃん事件で広島地裁はこの基準に照らして被害者が一人である点などを考慮、死刑を選択しなかった。

 その一方、事件当時に少年だった被告を「死刑相当」とし、広島高裁に差し戻した光市母子殺害事件の最高裁判決や、被害者が一人だった奈良女児誘拐殺害事件の小林薫死刑囚(38)に対する奈良地裁の死刑判決など、永山基準の枠を超えるとされるケースも相次ぐ。

 死刑を回避したあいりちゃん事件では、判決直後から広島地裁に抗議の電話が殺到した。篠森真之弁護士(73)=広島弁護士会=は判事時代、小林死刑囚の過去の事件を担当した。「将来の更生を誓っている」と判断したが、十年以上も後に起きた奈良の事件を受け、インターネット上で「反省しろ」と中傷された。

 「従来の量刑と国民意識に相当のギャップが生じている」。増田弁護士はこう指摘する。近年の凶悪事件の続発と、これを受けた住民の不安が厳罰化に傾き、司法を揺り動かしている。

▽新制度に不安も

 最高裁の司法研修所が二〇〇五年夏、国民千人と刑事裁判官約七百五十人を対象に実施した意識調査。国民の八割が裁判官の量刑判断を「軽い」と指摘した。過去の量刑については、裁判官の66%が「参考にした方がいい」としたのに対し、一般の国民は22%だった。

 意識調査に携わった前田雅英・首都大学東京法科大学院教授(刑事法)は「裁判官は専門家の常識にとらわれず、これまでの量刑例の扱いを考えなければならない」と提言する。

 裁判員制度の導入まで二年。昨年十二月に広島市であった公開模擬裁判では、懲役十五年の求刑に対し、裁判員役の市民らが出した意見は同五―十七年とばらついた。参加した広島地裁の現役裁判官は「ここまで割れると思わなかった」と漏らし、新たな制度下での公判のかじ取りに不安をにじませた。

 「唯一の司法権の行使者として、かつてないほどの重大な岐路に直面している」。増田弁護士は現在の裁判官の置かれた状況をそう指摘する。そして「量刑基準のあり方などを含め、法曹界全体を巻き込んだより活発な議論が必要」と受け止める。(松本恭治)


永山基準 連続射殺事件の永山則夫元死刑囚(1997年に刑執行)の第1次上告審判決(83年7月)で、最高裁が無期懲役の二審判決を破棄した際に死刑の判断基準として示した。(1)犯行の罪質(2)動機(3)態様(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前歴(9)犯行後の情状―を列挙、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からやむを得ない場合、死刑の選択も許されるとした。

2007.1.31