中国新聞


是正指導10年 広島県教育は今 <1>
国旗国歌
斉唱・掲揚 100%実施に


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厳粛な雰囲気で進んだ世羅高の入学式。各校とも国旗掲揚と国歌斉唱が定着している

 一九九八年五月二十日、文部省(現文部科学省)が広島県教委に対し「是正指導」した。入学・卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱の徹底をはじめとする十三項目。県教委は以来、法令順守、児童、生徒の学力向上などの取り組みを進め、それは成果と同時に、急激さゆえの「ひずみ」も生む―。戦後最大の転機から十年。教育現場の今をみる。

 今年四月八日、世羅町の世羅高体育館。真新しいブレザーの新入生やスーツ姿の保護者、教職員ら約七百人が整然と起立する。吹奏楽部の「君が代」演奏が入学式の幕開けを告げた。

 ステージ正面中央に「日の丸」。来賓の多くが一礼して演台に向かい、激励の言葉を贈る。粛々と進んだ式典は、約一時間で終わった。

 是正指導のころにPTA会長を務め、今年も来賓として出席した田中邦典さん(75)は「当時、こんな立派な式は考えられなかった。生徒の服装や態度も良くなった」と相好を崩した。

 今春、尾道市内の高校から世羅高に赴任したばかりの戸野法史校長(54)も「国旗国歌で教職員と議論になることはなくなった。ほぼ定着したと思う」。十年間での様変わりを端的に説明した。

 ▽「差別」が「尊重」へ

 日の丸、君が代を取り巻く「空気」の変容。起点をたぐれば、是正指導の九カ月後、九九年二月の世羅高校長=当時(58)=の自殺にたどり着く。

 国の指導に従い卒業式での国歌斉唱と国旗掲揚を求める県教委と、反発を強める教職員組合。そのはざまにいた校長が自らの命を絶ったのは卒業式の前日。全国に衝撃が走った。それは半年後、君が代を国歌、日の丸を国旗とする法律の施行につながってゆく。

 広島県教委は九二年、君が代の歌詞について「身分差別につながる恐れもある」との見解を示していた。是正指導直前の公立学校入学式(九八年四月)の斉唱率は、小中学校36・2%、高校などで16・9%だった。

 しかし是正指導後、県教委の見解は「国の繁栄を願った歌」と一転する。「国際社会では自国や他国の国旗国歌の尊重が重要」。世羅高の悲劇は、県教育長が校長に職務命令を出し、斉唱を強く求めた直後だった。

 ▽今春は8人を戒告

 県教委はその後も、斉唱時に着席した教員の処分などを徹底。指導前からほぼ全校で実施されていた国旗掲揚とともに、指導から三年後の二〇〇一年三月の卒業式以降、全公立学校の卒業・入学式で実施率100%が続く。

 今春の入学式で県教委と広島市教委は計八人を戒告処分とした。ただ、国歌をめぐる教職員処分はなくならないものの、対象者はほぼ固定化されているのが実態。「国の方針には逆らうなという戦前のようなやり方。処分を恐れ、もの言えぬ職場になっている」。通算七回の処分を受けた広島市内の小学校教諭今岡実知子さん(53)が訴える。

 入学式後の世羅高。「日の丸、君が代に違和感? ないです」。教室に向かう男子入学生(15)の表情は淡々としていた。「校長が亡くなったのは何となく覚えているけど、まだ幼稚園だったから…」

 国旗国歌の尊重を小学校から教わってきた世代にとって、混乱なく粛々と進行する式典こそが「日常」となりつつある。(永山啓一)

≪是正指導をめぐる主な動き≫
1992年 2月28日 県教委が君が代の歌詞は「身分差別につながる恐れもある」との見解(2・28文書)
1998年 5月20日 文部省が県教委と福山市教委に是正指導
1998年12月17日 県教委が「卒業、入学式での国旗国歌の指導が指導要領に基づき適正に行われるように」と県立学校長に通知
1999年 2月23日 県教委が臨時校長会で「君が代はわが国が繁栄するようにとの願いを込めた歌」との見解
1999年 2月28日 世羅高校長が、卒業式を翌日に控え自殺
1999年 3月18日 県立高管理規則の一部改正。校長権限の確立のため、職員会議の主宰を校長とする
1999年 3月23日 県教委は卒業式で君が代斉唱しなかった県立学校の学校長17人を戒告、4人を文書訓告
1999年 4月26日 県教委は入学式で君が代斉唱しなかった県立学校の学校長4人を処分
1999年 8月13日 国旗国歌法施行
1999年10月25日 県教委が「2・28文書」の破棄を表明
2001年 3月 1日 国旗国歌、全公立学校の卒業式で実施

(2008.5.20)


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