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第3部 被爆地とABCC
4. 互いの視線 検査 援護への活用期待2007.06.09

 足を踏み入れた米国式建物で、半世紀前の記憶がよみがえった。在ブラジル原爆被爆者協会会長の森田隆さん (83)は、古里の広島に一時帰郷中の三月中旬、放射線影響研究所(放影研、広島市南区)を訪れた。

 前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)が行った被爆者検査について聞くためだった。ブラジルには今も、被 爆者健康手帳を取得できていない仲間がいる。ABCCで検査を受けていれば、それが被爆者の証しとなるので はないか―。

 放影研によると、ABCC時代の一九五八年から被爆者を対象に継続してきた「成人健康調査」は、その健診  結果を本人に報告している。

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 森田さんもABCCの検査を受けた。五三年のこと。結果を聞いた記憶はない。覚えているのは不快感だけと いう。

 爆心地から一・三キロ。憲兵として防空壕(ごう)の仕上げ作業中に被爆し、背中に大やけどを負った。三日 後に動けなくなり、翌年には白血球が急増したという。妻綾子さん(82)と結婚し、時計修理業を営み、暮ら しが落ち着き始めたとき、ABCCの車が迎えにやって来た。

 「家族四人が半強制的に乗せられた。私は裸にされて調べられた。二度と行かんと思ったよ」。やがて一家は、 戦後を生き抜く場をブラジルの新天地に求めた。

 それから五十四年ぶりの放影研。かまぼこ形の屋根は当時と変わらない。職員は「現在の姿を見てほしい」と 丁寧に語りかけてきた。古い検査記録も残っていると聞いた森田さんは、その場でまず、自分の記録の閲覧を申 し込んだ。

 一週間ほどして封書が届いた。五三年十月三日付の「受診歴記録」。英文で尿や腎機能、血液、エックス線検 査などの結果が記してあった。日本人医師の報告書も添付されていた。

 「印象が変わりました」と森田さん。放影研の親切な対応に驚いた。同時に、その親切さの意味を考えると複 雑な心境にもなるという。ABCCは原爆を投下した米国が設置した調査研究機関。引き継いだ放影研は日米共 同運営へと変わったものの、調査研究の結果はやはり米国へ伝えられる。被爆者を大切に扱う意味は何だろうか―。

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 発足当初の強引な調査が批判されるABCCは一方で、被爆者の動向に気を使った。米学士院(ワシントン) に眠る関連文書からも、米国の思惑が透けて見える。

 「原爆一号」吉川清氏に関する内部メモは、広島での被爆者組織結成への「期待」を寄せる。一方、在日米大 使館職員がABCCのダーリング所長にあて、韓国の被爆者組織の動向を知らせる六八年五月十三日付の書簡か らは「警戒感」がうかがえる。「韓国原爆被害者協会は援護を求め、すでに韓国や日本政府には接触している。 間もなく米国へも求めてくるだろう」

 森田さんがつぶやく。「被爆者を意識してくれるなら、今度はそのデータをもっと、被爆者援護のために生か してほしいです」(森田裕美)

【写真説明】54年前のABCC受診記録を受け取り、当時を振り返る森田さん



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