中国新聞

◇ シシ垣今昔 ◇

集落ぐるり“万里の長城”

 どん欲なイノシシを相手に、江戸時代は共同で予防線を張った。 シシ垣―。住民が総出で、山あいに石垣や土塁を築き、集落を囲っ た。現代は電気さくなどの利器で、田畑の際をぎりぎり囲うだけ。 「シシ垣よ、よみがえれ」と、再評価の運動も起きている。

「猪変(いへん)」

特 集
(03.1.25)


 江戸時代  ―住民総出 山腹に6キロ
 現代  ―狭まる緩衝地帯 電気さくで防衛


「中国地方のシシ垣遺構」

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扇平山の中腹に延びるシシ垣の遺構。近くに、イノシシ が鼻で地面を掘り返した後があった(今年1月、広島県安浦町)

 中国地方で最大級のシシ垣が、広島県安浦町にある。瀬戸内海を 望む扇平山(三九〇メートル)の中腹。一抱えほどの石を積んだ垣 根が、高さ一・五メートル、延長約六キロにわたって続いている。 「万里の長城と呼ぶ人もいます」と町文化財保護委員の福本俊彦さ ん(65)。

 うち四・三キロの築造を受け持った旧内平村の古文書が残ってい る。江戸後期の一八一二年春から、一年がかりの大工事。総工費 は、広島藩に納める年貢米のほぼ一年分に上った。最前線の内平村 だけでなく、周りの十七カ村も建設費と人手を出し合った。

 おかげで、シシ垣は一九五〇年代まで役立った。山仕事に入るた めに設けた木戸を、共同で管理していた。その木戸も今は朽ち果 て、石垣も所々崩れ、やぶに隠れている。「もう、山で薪(まき) をとることもないけえね」。近くの農業山本貢さん(78)もあきらめ 顔だ。

 人が山との付き合いをやめ、人とイノシシとの緩衝地帯は狭まる ばかり。農作物を守るための予防線は、次第に里へと下り、今では 一人ひとりが自分の田畑だけしか囲えなくなった。

 コミュニティー再生の糸口に、シシ垣跡を掘り起こす取り組みが 昨年、関西で始まった。言い出したのは、奈良大文学部の高橋春成 教授(50)=地理学。広島大で大学院生、助手と過ごし、イノシシな どの獣害が中国山地の過疎化に与えた影響について研究した。

 「シシ垣は、郷土の文化財としてだけでなく、野生動物と共存す るライフスタイルや地域開発を考えるうえで大事なヒントになるは ず」。自らも昨年秋から、住んでいる滋賀県で住民たちとシシ垣跡 を調べ歩いている。ホームページ(HP)も開設し、全国に眠る遺 構の掘り起こしを呼びかけている。

 高橋教授の「シシ垣ネットワーク」のHPアドレスは、http://homepage3.nifty.com/takahasi_zemi/sisigaki/sisimein.htm

右の写真は、上左=シシ垣造りのいきさつを書いた江戸時代の覚書。住民が 大事に保存している(2002年8月、広島県安浦町) 上右=さくを張っていない民家の脇の畑に入り、サツマイモを くわえて逃げるイノシシ(2002年10月、広島市安佐北区) 下=島根県畜産試験場おすすめの電気さくとトタン板併用方 式の講習。集まった農家は真剣そのもの(2002年8月、島根県邑智 町)

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シシ垣の遺構(白線)は集落を囲い、延長約6キロに及 ぶ(今年1月、広島県安浦町)
≪シシ垣≫イノシシやシカなどの獣害から農作物を守るため、石 や土、木、竹などで築いた構造物。江戸時代に盛んに造られた。当 時の古文書には「猪垣」「猪鹿垣」と記している。豪雪地帯でイノ シシの生息地でなかった北海道や東北地方を除き、各地の山腹に設 けられた。遺構には頑丈な石垣が多く、断面を見ると高さ1.5~ 2メートルの台形が大半。中国地方の市町村教委や取材先で聞き合 わせた結果、鳥取を除く4県の9市町村で計10カ所の石垣遺構があ った。広島県の安浦町や筒賀村のシシ垣には、獣を捕獲する落とし 穴を垣根脇に併設している。

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