中国新聞

神事に息づく共存の気風
「森の隣人」 感謝と慰霊

 山の幸への感謝、あやかり、弔い。「森の隣人」として、イノシ シを受け入れていた気風は今も、郷土芸能やしきたりにかすかに薫 る。中国地方で盛んな亥(い)の子祭り、狩りの作法を伝える九州 山地の里の神事…。息づく余情を拾った。

文・石丸賢、林淳一郎 写真・山本誉
「猪変(いへん)」

特 集
(03.3.17)


宮崎県西都市 夜神楽

 舞に伝統の狩猟作法 「姿消したら元も子もない」

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イノシシの頭を供えた祭壇の前で続く、伝統の神楽。舞は一昼夜、18時間に及んだ(2002年12月、宮崎県西都市)

 りょう線が空をV字に切る、宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)地 区。創建から五百年余り、ひなびた銀鏡神社は昨年暮れ、年に一度 の祝祭の夜神楽で華やいでいた。

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上=いにしえの猟風景を伝えるシシトギリの舞。老夫婦にふんした祝人が弓を引くと、客席が歓声でわいた 下=祭りの後、祭壇から下ろしたイノシシの頭を火にくべる。狩りの神様に、猟の繁栄を願って

 太鼓や笛の調べが、風に乗る。社殿の前に設けた舞殿で、神社の 氏子に当たる祝子(ほうり)たちが体を翻す。はやし手の頭上に渡 した板に、目を閉じたイノシシの頭部が六つ並んでいる。地元のハ ンターたちが、獲物をはぐくんでくれた山の神にささげた、供え物 だという。

 「山のもん(恵み)に感謝するのは、山に育った私らの務めで す」と三十代目の宮司、浜砂武俊さん(74)。生きる喜びと、犠牲へ の鎮魂と。一見きらびやかな国重要無形民俗文化財の夜神楽はあく まで、大祭行事(十二月十二~十六日)の一つにすぎない。

 カメラのフラッシュが瞬く境内は、県内外からの観客約二百人で 埋まっていた。広島市から訪れた無職下畠信二さん(66)は「イノシ シの頭は、ちょっと気味悪い。だけど、しきたりにのっとった儀式 は、山の神と向かい合ってる気分になれる」と声を潜めた。

 いてつくような冬の夜気の中、神楽は続く。三十三もの演目を舞 い終えたのは翌日の昼すぎ、開演から、実に十八時間がたってい た。

 銀鏡地区には約千人が暮らす。平地が少なく、水田には向かな い。縄文時代から、焼き畑農業が盛んだった。森を切り開いては、 火を入れ、焼け跡にソバやヒエを作る繰り返し。「いい米がでけた ら、学校のグラウンドまで担いできて、驚き合うたとです」と祝子 の一人、浜砂重文さん(67)は懐かしむ。

 イノシシを追い出す効果もあった焼き畑が、山火事の不安から二 十年ほど前に衰退。段々畑は一層、獣害の標的になった。実るそば から、食い荒らされる。駆除が必要になった。タンパク源にもなる イノシシを狩りで減らし、収穫の無事を待つ―。豊作の祈りは、深 みを増している。

 終盤近くの出し物、シシトギリ舞いには狩りの作法が織り込まれ ている。弓矢を手に老夫婦がイノシシの足跡をたどり、猟師たちと 合図で包囲網を狭めてゆく、古式ゆかしいイノシシ猟の一部始終を まねる。

 「今は弓の代わりに銃を使うが、狩りの手順は一緒。被害さえ出 なけりゃいい、という考え方も変わらない」と西都猟友会の銀鏡支 部長、浜砂清忠さん(65)。有害駆除に出ても、期間の半分は空砲で 追い払うだけ。「イノシシが姿を消したら、神楽も舞えんとです。 元も子もない」

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河原の祭壇に、焼いたイノシシの肉片をささげる。5日間続いた大祭のしずかなフィナーレ
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神楽の合間、境内でくつろぐ観客たち。奏楽がやむと、谷間に静けさが戻る

 大祭の最終日。神社近くの川岸に、大祭を取り仕切る宮人(みょ うじ)役の浜砂修照さん(65)たちが集まった。氷雨も構わず、供え たイノシシの頭をたき火にくべる。「暮らしぶりは変わっても、伝 統の心を廃らせたら、いけんとです」と修照さん。

 イノシシとともに、生きる―。戒めにも似た決意に、銀鏡の人々 の心根を垣間見た気がする。

広島県坂町 亥の子祭り

 憎い敵 されど祭神 豊作と商売繁盛祈る

 いーのこ いのこ いーのこもちついて いわわんものは…

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亥の子石に結わえた縄を上下に振り、地面をつく。祝いのはやし声が軒先に響いた(2002年11月、広島県坂町)

 甲高い、はやし声が軒先に響く。眼下に遠く、広島湾を臨む広島 県坂町の中村迫地区。毎年十一月、約百五十年前から引き継ぐ亥の 子祭りが繰り広げられる。

 亥の子祭りは、多産のイノシシにあやかり、豊作や商売繁盛を祈 る祝いの行事。中国五県一円をはじめ、近畿や四国、九州の一部に 伝わる。

 民家の玄関先。荒縄をくくり付けた重さ約十キロの石を、二十人 ほどの子どもが振り上げ、地面をつく。ついた穴に、清めの紙片を まく。家々から心付けを集めながら、地域中を回る。

 「田畑を荒らすイノシシは、昔から好かれんかったろうに。何 で、祭神になれたんかね」。亥の子神楽保存会の正原利朗会長(52) が見やる山の手には、イノシシよけのトタン板が目立つ。

 昨年、一行を迎えた会社員尾茂康国さん(54)の家は敷地をぐる り、さくで囲ってある。「憎い敵にまつわる亥の子石を招き入れ、 喜ぶのも複雑な気分」と苦笑い。  祭りの後、公民館で保存会メンバーが祝い酒を回す。「地域をつ なぐ亥の子はええが、イノシシはご免じゃの」。若手の声に、何人 かの年配者が応じた。「シシも子を産んで、生きんにゃいけん」 「相手の立場も見ちゃらんにゃあ」。ひと呼吸置いて、話の輪にま た、笑いが戻った。


■ 忘れまい 命奪う重み ■

 中国地方で供養の動き「心で経唱え、撃つ」

 生活のため、地域のためと、心を鬼にして害獣と思い込んでも、 命をあやめる抵抗感が日本社会には根強い。中国地方の各地でもイ ノシシ供養の動きが目立つ。

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有害駆除のイノシシやサルを弔う島根県瑞穂町猟友会の石碑。春の雪が降りかかる(今年3月)

 「心で経を唱えて、撃つのよの」「ウリ坊(幼獣)は殺せん」。 取材で訪ねる先々で、有害駆除に出るハンターから苦い胸の内を聞 いた。身内が出産を控えた時期は殺生したくない、と銃を遠ざける 人も少なくない。

 中国山地にある島根県瑞穂町の猟友会は一九九六年春、「鳥獣慈 命碑」を建てた。九一年からイノシシ退治が町内で本格化し、獲物 の大半を有害鳥獣が占めるようになった。「有害駆除とはいえ、命 を奪う重みを忘れないように」と、石碑代は会員が出し合った。

 瀬戸内海に浮かぶ大崎上島では獣害が急増中。わなで駆除をす る、広島県木江町のミカン農家は昨年、供養祭を始めた。シシにち なんで四月四日。こちらは「過疎地は生きるか死ぬかの戦い。供養 の後、仲間と固めの杯を交わすんよ」。



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