中国新聞

 

多才で繊細 知力も自慢

 「猪突猛進」だ、やれ「猪武者」だとか、言いたい放題だね、人間さんは。ボクたちイノシシを、向こう見ずの無鉄砲と思い込んだら、大間違いだよ。数も数えりゃ、芸も覚える。ヘアピンカーブだってお手の物さ。近畿中国四国農業研究センターの鳥獣害研究室(大田市)に江口祐輔さん(34)っていうイノシシ博士がいたんだよ。最近、神奈川の麻布大に移ったけど、話の分かる人でね。きょうは汚名返上に、江口さんに見せた秘密をちょっとだけ教えてあげるよ。

「猪変(いへん)」

特 集
(03.3.23)


突進は誤解

 人間会の辞書じゃ、ボクたちは猪突猛進、「前後左右を見ず、がむしゃらに突き進む」しか能がない動物なんだって? 誤解も誤解、ひどいよ。
 跳ぶ、隠れる、左右にターン、後ずさりだってできる。やぶの中でも突き進みやすい流線型は「森の獣として、優れた体形」って江口さんは褒めてくれるんだぞ。

赤は見えない

 青系統の色は見分けられるんだけど、赤色の見分けがどうも苦手でね。灰色と見間違えてしまうんだ。「イノシシは赤を嫌がる」って思い込んで、田畑の周りに赤い網や布を張る人もいるそうだけど、残念でした。

甘いもの大好き

 甘いもの? 大好きさ。はちみつとか、黒砂糖とか、思い出すだけでよだれが出ちゃうよ。ボクたちが病気で具合が悪くなった時にだけ、江口さんがコーラ飲料の炭酸を抜いて、砂糖を足したのをくれるんだ。どうも、苦いお薬を混ぜて、飲ませる工夫らしいんだけどね。スポーツドリンクも好きだよ。

数が分かる?

 視力とか色の識別とか、いろんな実験に付き合ったよ。ご褒美は、小麦粉と卵、砂糖で焼き固めた、丸いボーロ菓子。牛乳入りのがおいしいんだ。
 緑色を選ぶ実験では、正解ボタンを鼻で押すと、ボーロが五粒出てくる。ある日、機械の故障で四粒しか出てこなくて「おかしい。、少ないぞ」「こぼれ落ちたかな」とウロウロ、待っていたんだ。その様子を見た江口さんが「四と五の区別ができるのかも」って驚いて。幾つまで数えられるかは、まだ謎にしてあるんだ。

炭が薬代わり

 親とはぐれた幼い「ウリ坊」を飼おうとして、牛乳を飲ませる人がいるけど、下痢しやすいんだ。研究熱心な猟師は気付いているけど、ボクたちは炭を食うんだ。下痢止めの薬代わりさ。山火事の跡に埋まっているし、炭焼き小屋の近くにも落ちているからね。

家の外は怖い

 すみかの境界から、一歩でも踏み出すのが怖いんだ。人間界で言うだろ、「清水の舞台から飛び降りる」って。そんな気分さ。食うか食われるか、警戒心が弱けりゃ、野性の世界じゃ生きていけないんだ。
 江口さんは、飼育舎から実験室に入るまで十メートル足らずの移動に二~三週間かかるのをじっと待ってくれたよ。
 とりわけ、天敵の人目につくのは嫌なんだ。ごちそうが並ぶ田畑をめがけ、人里に下りる時も、森ややぶが途切れる境で必ず脚が止まる。人の気配が気になる。山里から人家までの距離が遠くて、裏山も手入れされて見通しがいい所なんか、苦手だねえ。そんな弱点に気付く人が少なくて、助かっているけど。

★ 曲芸のスター ★

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イノシシの懸賞レース。カーブあり、坂ありのコースを巧みに走る

 静岡県の伊豆半島に、「伊豆天城いのしし村」という観光名所があって、六万平方メートルぐらいの園内に、仲間が百頭ほど、飼育されてたんだ。石川さゆりとかいう歌手のヒット曲「天城越え」で有名になった峠の近くだよ。昨年の十二月から休職中なんだけど、ここの仲間は、曲芸ショーのスターだったんだ。
 平均台を器用に渡るし、滑り台で遊んで、輪くぐりもできた。見にくる人間たちは皆、「ほおー」「へえ、イノシシって賢いんだね」って感心するし、拍手をくれていたんだ。
 もう一つ、人気だったのが「世界でここだけ」って触れ込みのレース。上り下りの坂や急カーブ、水たまりが続く道を走らせて、人間が観戦してた。入場券に書いた予想の着順が当たれば、イノシシの縫いぐるみをもらえた。人間は、妙な遊びが好きだねえ。馬も走らせるんだって? ボクたちの能力を見直してくれるのは、うれしいんだけどね。
 最近は、獣害に困っている地域の農家や議員とかいう人間たちも、勉強に来てたらしいよ。

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滑り台遊びも、慣れたもの。下りる時は前脚を突っ張り、ひづめが開く
★ 輪くぐりもOK ★
個性に合わせて調教

 静岡県の「伊豆天城いのしし村」では1970年の開業以来、スタッフが手探りで玉乗りなどの曲芸をイノシシに教え込んだ。「賢い動物ですよ。生後3カ月までに調教を始めるのがこつ」と調教師リーダーだった石原政典さん(41)。気性などが一頭ずつ違い、同じ芸でも調教パターンを変えていた。
 芸の中でも難しい、輪くぐりの調教パターンを教えてもらった。
 (1)地面を歩かせながら輪をくぐらせ、餌をやる
 (2)跳ばせたい先(着地点)を決めて餌を置き、地面に立てた輪をくぐらせる
 (3)くぐる輪を地面から少し浮かせ、(2)の反復練習
 (4)輪の位置を徐々に高くしていって、完成。

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曲芸ショーで難しい芸の一つ、輪くぐりを見せるイノシシ
跳躍記録は…

 江口さんが研究センター近くの山に住む野生の仲間を半分飼いならした実験で、一頭が助走なしで一・二メートルのさくを跳び越えんたんだ。この数字が一人歩きして、「うちの畑の囲いは四十センチしかない。もう駄目だ」なんて農家が失望した、とか聞くけど、心配ないよ。ジャンプ力は皆違うし、さくの向こうが谷底かもしれないと思えば、人間だって飛び越そうとしないだろ。
 足場が斜面だったり、ぬかるんでても、跳躍力はぐっと落ちる。四十センチほどのトタン板でも役に立つのさ。イノシシの目線で農地を見直せば、分かるよ。賢い人は、脚に絡むものを嫌がる習性を考えて、さくの手前に網みたいなものを張るよ。
 おっと、どうやら、秘密をばらしすぎちゃったみたい。仲間からブーイングが聞こえてきたよ。じゃあ、この辺で。

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 イノシシの生態は、江口祐輔さん監修。江口さんは、動物行動学の専攻で、現在は麻布大獣医学部(神奈川県相模原市)の講師。昨年末まで4年間、近畿中国四国農業研究センターに在籍した。新著「イノシシから田畑を守る」(農文協)では、詳しい生態や被害防除のポイントを解説している。

(写真はいずれも2002年9月、伊豆天城いのしし村)

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