中国新聞

ぼたん鍋の「主役」 独自ルートで流通

追跡 浜田―兵庫県篠山

 お肉屋さんの店先で、まず猪(しし)肉は見かけない。野生動物 のイノシシに、家畜の牛や豚のような食肉流通ルートは無い。大半 は、猟師が料理店などに直接持ち込む。荷主の一人を島根県西部に 訪ね、流通ルートをたどった。国内一の集荷を誇る兵庫県東部、丹 波篠山地方の肉問屋には中国山地の猪肉も集まっていた。

地図
文・石丸賢、林淳一郎 写真・山本誉

「猪変(いへん)」

特 集
(03.4.23)


 ◆猟師が直接 問屋や店へ

 猟期さなかの昨年十二月、猪肉の仲買人をしている浜田市内の猟 師宅を訪ねた。海辺の市街地から東に約五キロ、山あいに入った後 野地区。庭先にあるイノシシの解体処理小屋をのぞくと、十頭余り の獲物が鼻先を天井に向け、ぶら下がっていた。

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イノシシの荷造りを見守る仲買人の近重さん(右端)。よりすぐりの2頭は40キロクラスだった(浜田市内)

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 「年末は、肉に脂が乗って、いいころ合いだぁね」。小屋にいた あるじ、近重秀友さん(71)の顔がほころぶ。狩猟歴五十年のベテラ ン。市内や近隣の山で猟師が捕ったイノシシを買い取り、肉問屋や 常連客に売りさばく。同じような仲買人が島根県内に六、七人い る、という。

 獲物はどれも、血を抜き、内臓を取り除いてから近重さんの元に 届く。「肉の下処理は、仕留めて一時間以内が勝負」。肉に血や内 臓のにおいが残ると、売り物にならない。「状態が悪い」と見れ ば、引き取らない。

 いい肉を出すには、肉を傷つける銃猟は避け、ワイヤで脚を絡め 取るくくり罠(わな)を使う。罠には、獲物が掛かると反応する電 波発信機を取り付ける。野垂れ死にした獣肉の販売は、食品衛生法 で禁じられている。生きている方が、血抜きもしやすい。

 出荷に向け、荷造りが始まった。選んだのは生後二、三年の四十 キロクラスの二頭。五、六歳を過ぎると、肉が硬くなり、値打ちが 下がる。厚手のビニール袋に包み終わったころ、声をかけてあった 運送業者の保冷トラックが着いた。送り先を尋ねると、ぼたん鍋で 有名な兵庫県篠山市だった。

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厚手のビニール袋にくるんだイノシシを運送会社のトラックに積み込む。篠山市まで、約450キロの道のり(浜田市内)

 「昔は夜通し、国道を走っても、十時間以上かかった」。近重さ んたちは一九七〇年ごろ、軽トラックに獲物を載せ、篠山へ持ち込 んだ。中国道も浜田道も、まだなかった。八〇年代には好景気で猪 肉の需要が伸び、一時は、篠山の問屋が浜田まで買い付けに訪れ た。だが、他の高級食材と同じく猪肉もバブル崩壊の影響を受けて いるという。

 近重さんは十年前、食肉の処理と販売の資格を取り、自前でも売 り始めた。一冬に何頭をさばき、一頭いくらで売り買いするのか ―。尋ねても、「まあ、ええじゃない」とはぐらかす。市場を通ら ない猪肉は、競りにもかからず、価格は取引相手によって変わる相 対の世界だ。


肉問屋の保冷倉庫には、各地から届いた獲物がひしめくように並んでいた(篠山市内)

町のあちこちに、「ぼたん鍋」と書いた旗のぼりや看板が林立する(篠山市内)

イノシシ像が載かった橋を渡ると、ぼたん鍋の本場、篠山市の中心部に入る

 近重さんの荷を積んだトラックの後を追い、雪の舞う浜田を出 発。篠山市までは約四百五十キロ。国道9号を東に走り、米子道、 中国道を経由して出発から五時間で、運送会社の倉庫が並ぶ兵庫県 加西市に。ここで荷を小分けにし、別のトラックに積み替えた。舞 鶴道を通り、一時間半ほどでぼたん鍋発祥の地、篠山に到着した。

 篠山川に架かる橋の上に、イノシシの石像が載っている。掘割や 江戸期の商家など、城下町の風情が残る商店街。「ぼたん鍋」の文 字が躍るのぼりや看板が立ち並ぶ。イノシシ料理店は市内に五十軒 ほどある。

 ぼたん鍋は、一九〇〇年代初めに篠山市内に駐屯した旧日本陸軍 のみそ汁が始まりとされる。訪れる観光客は、大阪や京都などを中 心に年間二百四十万人に上る。

 近重さんと取引のある問屋を訪ねた。創業から五十年余りという 老舗。取材を申し込むと、三十年勤める営業部長の表情が曇った。 「話をするんはええんですけど、うちの名前を載せんでもらえんや ろか…」。取り扱い頭数や買値などを明かすと、相手の猟師がいい 顔をしない、という。

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猪肉の異名通り、ボタンの花のような皿盛り。みそ仕立てで、ゴボウなどの根菜と土鍋で煮込んで食べる(浜田市内)

 市内に五軒ある問屋全体で、年間およそ四千頭の猪肉を扱う。取 材した問屋の保冷倉庫は、五十頭のイノシシで満杯だった。それぞ れに猟師の名札がぶら下がっている。大半は篠山市を含む丹波地方 の獲物だ。「島根県産はまあ、一割ですなぁ。山の餌をしっかり食 べて、肉質は上々ですわ」と営業部長。

 問屋直営の販売店をのぞいた。赤身の多い「並」のスライス肉で 百グラム五百円。真っ白な脂がたっぷり付いた「特上」になると、 百グラム千五百円に跳ね上がる。

 ぼたん鍋は、どの料理店も申し合わせたように一人前五千円が相 場だった。スープの味付けに使う、みその調合は企業秘密。練った 丹波グリが隠し味の一つと聞いた店で味見した。肉は軟らかく、臭 みもない。体のしんから、ぬくもった。

 生まれて半年で百キロ以上に太る豚に比べ、野生のイノシシなら 四、五年はかかる。おまけに体重の半分ほどしか、売り物にならな い。猪肉は、大量に、安定した供給を求める現代流通には不向きの 食材のようだ。

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 その猪肉の扱う問屋が集まる篠山は、西日本の猪肉流通の拠点と もなっている。集まった猪肉は、地元の料理店や精肉店のほか、一 部は関西や中国、東海地方の都市部にも送られる。

 猪肉が「地産地消」向きなら一層、丹波篠山ブランドの独り占め にさせておくのは、もったいない。中国山地は丹波地方に負けない 自然環境で、うまいイノシシの産地なのだから。とっぷり暮れた篠 山の街は、鍋を囲む客でまだ、にぎわっていた。

兵庫県 処理加工で指導要領

 山で奔放に育ち、何を食べたか分からない、野生の猪肉を流通さ せるには、衛生管理が心配の種となる。猪肉の本場、篠山市を抱え る兵庫県は独自の指導要領を備え、食品衛生法を補ってきた。
図式「食肉の流通ルート」  「鳥獣処理加工指導要領」。猪肉の需要が伸び始めた1983年 に作った。食肉処理業者などに対する、60近い注意事項を盛り込 んでいる。
 中国地方でも、地域ぐるみでイノシシの解体処理施設を設ける動 きが各地にある。参考に、兵庫の指導要領のポイントを紹介する。

 【処理加工】解体後の肉製品は4度以下の低温で保管する▽冷凍 での保管、輸送は肉製品の中心温度を氷点下15度以下にする▽製 品は、ふた付きの容器や合成樹脂製のフィルムで包装後、保冷車で 運ぶ。

 【管理運営】解体や加工に用いた機械や器具は使用後、83度以 上の温水で洗う▽食中毒を引き起こす大腸菌などの自主検査を年2 回以上は実施し、記録を1年以上保管する▽施設の清掃は1日に1 回以上、大掃除は毎週1回以上する。

輸入 10年間で8倍
検査で安心 安さも魅力

 猪肉は何も国産ばかりではない。海外産も出回っている。昨年の 輸入量は225トン。最近10年間で8・6倍に増えた。細菌や 寄生虫が持ち込まれないよう、厳しい検疫を通った肉のクリーンさ と、値段の安さが魅力のようだ。 グラフ「国別猪肉輸入量」

 昨年の輸入先はカナダだけだった。10年以上前に主流だったオー ストラリアやニュージーランドは、今では影が薄い。理由は「価格 の安い輸出国に人気が移った」(農林水産省食肉鶏卵課)。

 海外ものは、飼育イノシシ。生きた状態で輸出前に数カ月間、病 気の有無を検査する。カナダ大使館や日本の輸入業者によると、カ ナダ西部のロッキー山脈のふもとなどでイノシシを飼育していると いう。

 骨付きの「枝肉」などに解体して、数や重量を記した政府の証明 書を添え、飛行機や船で輸出する。日本に着くと、空港や港湾の検 疫所で食品衛生監視員が見て触り、においをかいで、病変などを調 べる。微生物検査をするケースもある。

 今年の正月から、新メニュー「すき焼き風しし鍋」を出した広島 市西区のレストランも、使ったのはカナダ産の猪肉。県内で猟師や イノシシの飼育場に50キロ分のロース肉を注文したら、「一頭丸 ごとでなきゃ駄目」「ロースは猟師の取り分。肩肉かモモ肉しかな い」と、らちが明かなかった。

 出入りの食肉業者から「カナダ産がある」と聞き、発注。臭みも なく、軟らか。値段も100グラム当たり180円と、市販の豚肉とほ ぼ同じだった。ユズみそ仕立ての鍋で魚の刺し身などを付け、一人 前が3000円。上々の人気で、200食が売れた。「これが国産の肉な ら、倍額のお代は頂かないと」と言う。

 国産のイノシシは家畜と違い、食肉の卸売市場には持ち込めな い。都道府県に猪肉の取扱量を報告する義務もなく、国内の流通量 は国もつかめていないのが実態だ。



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