2006.11.19
1.  ヒーロー   称賛される救出活動 補償されぬ健康障害



 二〇〇一年の米中枢同時テロから五周年にあたる九月十一日朝。ジョン・グラムさん(44)は体調不良をおしてニューヨーク市のマンハッタン島南端にある世界貿易センター(WTC)跡地へ出かけ、あの日犠牲になった三千人近い人々の冥福を遺族らとともに祈った。

 「私にとって跡地へ出かけるのは巡礼のようなもの。あの日の悲惨な光景は脳裏から離れない」。五日後、ニュージャージー州パラマス市の自宅で会った彼は、大きな体をソファの背にもたせかけながら言った。

 ■不眠不休で作業

  ニューヨーク建設労働者組合の緊急医療技術者だったグラムさんはあの日、一機目のハイジャック機がWTCツインビル(百十階建て)の北棟に激突するのを十ブロックほど離れた事務所から目撃。負傷者らを救助しなければ、と職場の仲間とすぐに現場へ飛び出した。

 十六分後の午前九時二分には二機目が南棟に突入。最初はテロ攻撃であることも分からぬまま、ガラス片や落下物で負傷した人々の応急治療に当たった。  それから約一時間後、南棟ビルの崩壊が始まった。「まるで自分に向かって倒れてくるようだった。ガラスもコンクリートも鉄柱も人間も、あらゆるものが降ってきた。目の前にいた人がガラス片に当たって即死した。胸から腹を刀で切られたようになって…」

 南棟ビルの崩壊で、熱気をおびたほこりや煙が辺りに充満。防護マスクを着けていなかったグラムさんの口内や鼻孔は、砕けて粉末状になったセメントなどのほこりで覆われ、目もひりひりと痛んだ。

 さらに三十分後、北棟ビルが崩壊。夕方には飛行機の直撃を受けていないWTCビル群の第七ビル(四十七階建て)まで倒壊し、一層状況は悪化した。

 「自分も死ぬだろうと思った。でも、手当てを必要とする負傷者が目前に大勢いた。崩れたビル内にも生存者がいるに違いない。そう思うと、現場を離れることなど考えもつかなかった」。グラムさんは時折せき込みながら、五年前の体験を静かに語った。

 彼はその日、家族に救出活動に当たっていることを電話で伝え、不眠不休で三十二時間働き続けた。その間、体内に入り込んだ粉じんで気分が悪くなり、何度も吐き気を催した。

 帰宅したのは十二日夕。当時、三十四歳の妻と、七歳と三歳の娘は無事の帰宅を喜んでくれた。が、のどや胸の痛みを訴えるグラムさんの体の異変に驚きを隠せなかった。

 まぶたに浮かぶ凄惨(せいさん)な光景、体の不調…。眠れぬ一夜を明かす。そして十三日朝には家族の心配を振り切り、再び現場へ出かけて行方不明者の捜索に加わった。

 「あの場に立ち会った者として、自分にできる最善を尽くさなければ…」。救出活動中に行方不明になった警察官や消防士らも多くいた。それを思うと、自分の健康だけをかまってはいられなかった。

 グラムさんはそれ以後、週二、三回は崩壊現場での作業に加わった。その作業は翌年五月、地中に埋まった最後の鉄骨が撤去されるまで続いた。

 だが、その間に彼の健康は確実にむしばまれていった。気道や肺など呼吸器官の機能が低下。ぜんそくも悪化し、気道を広げるための吸入器が手放せなくなった。建設労働者に応急処置の仕方などを教える日常業務に戻っても、すぐに疲労感を覚え、仕事をこなすのが日々きつくなっていった。

 やがて香水や車の排ガスなどにも体が拒絶反応を起こすようになる。思うに任せぬ体。いらだちを妻や子どもたちにぶつけたり、ふさぎこんだりすることもしばしば。雑誌記者を務める妻との関係も破たんし、〇三年には離婚。同じ町の現在の借家に移った。そして二年前、「安静にしていなければ命の保証ができない」と医師に告げられ、離職を余儀なくされた。

 ■呼吸器疾患7割

 グラムさんがたどった過程は、決して珍しいケースではなかった。WTCビル崩壊時の救出活動や、その後のがれきの撤去作業に従事した人たちで健康を害し、そのために失業した事例は数え切れないほどである。

 ニューヨーク市にあるマウント・サイナイ病院では、〇二年七月からWTCビル崩壊現場で働いた約一万二千人の建設労働者やボランティアを対象に治療と健康調査を実施している。〇四年からさらに四千人が加わり、現在は一万六千人余が調査対象となっている。

 同病院は一九五五年、被爆して顔などにケロイドの残る広島の若い女性二十五人を招き、整形手術を施したことでも知られる。病院を訪ね、健康調査プロジェクトの共同代表でグラムさんの主治医でもあるスティーブン・レービンさん(65)に話を聞いた。

 「WTCビルの崩壊で人命救助やがれきの撤去作業にかかわった人たちは四万人を超えている。うち約四割が私たちの調査対象に含まれている」。レービンさんは五周年を前にまとめた「WTCの惨事と労働者の健康」と題した報告書を手に説明を始めた。

 「最も典型的な症状は、70%の人たちに呼吸器疾患がみられること。ぜんそく、のどや胸部の痛み、頭痛、全身の倦怠(けんたい)感…。心的外傷後ストレス障害(PTSD)も見逃せない」

 9・11テロ直後、連邦環境保護局の責任者は、WTC跡地の空気は「クリーンである」と発表した。その言葉を信じて防護マスクを着けなかった作業員も多かった。あるいは防護マスクの配布を要求しても、「政府が安全と言っている」と要望に応じなかった建設関連企業もあったという。

 だが「これほど無責任で、でたらめな発表もない」とレービンさんは政府の姿勢を厳しく批判する。「有害であることを知っていながら無害と言うのは犯罪行為に等しい」

 グラムさんらが体内に吸引した物質には、粉末のように砕けたセメントやガラスのほかに、アスベスト、ベンジン、ポリ塩化ビフェニール(PCB)、繊維ガラスなど有毒化学物質が多く含まれていた。

 「建設労働者はふだんからほこりの多い環境で働いている。そのうえ、こうした有害物質を短時間に多量に体内に取り込めば、健康障害を来すのは明らか。薬の投与などで治療も並行して行っているが、症状の悪化を遅らせるのが精いっぱい。完治は難しい」。二十七年間、同病院で主として労働災害による患者の治療に当たってきた専門医はため息交じりに言った。

 しかも最近は薬代が払えないため、労働組合などの出資でまかなう調査プロジェクト基金の一部を充て、肩代わりするケースが増えているという。グラムさんと同じように健康を害して職を失い、収入の道を断たれたからだ。失業は雇用主が掛けていた健康保険を失うことをも意味する。

 レービンさんによれば、病気に伴う労働補償をすべき保険会社が、患者に補償金を払わないケースが目立つという。訴訟を起こした彼の患者の中には、法廷で会社側の弁護士から「仮病にすぎない」などの侮辱を何度も受け、「もう法廷には出たくない」と訴訟を断念した人もいる。

 「保険会社は利益を上げるのが目的。患者を侮辱してでも、訴訟を断念してくれれば、それが勝利だと思っている。患者にとって一番金が必要なときだというのに…」

 ■政府対応に憤り

世界貿易センタービル崩壊と
周辺への影響
 世界貿易センター(wtc)ビル3棟の崩壊で発生した大量の煙と有毒化学物質を含んだほこりは、チャイナタウンなど周辺地区の居住者にも大きな影響を及ぼしている。

 地元の非政府組織「アジアfアメリカ人法的擁護・教育財団」などの調べでは、ほこりなどの体内への吸引により中国系住民を中心に、少なくとも2万人が呼吸器疾患などの健康障害に苦しんでいるという。しかし、彼らに対する政府の補償は一切なされていない。

 このため同財団などが中心になって、希望住民への無料健康診断や、因果関係が明らかな疾病に対する金銭的補償を政府に強く求めている。が、5年が過ぎた今も実現していない。
 グラムさんの台所事情も火の車である。元気に働いていたころは月収六千四百ドル(約七十六万八千円)はあった。今はニューヨーク州政府からWTC崩壊現場で働いた患者への月額千六百ドルの補償金のみ。以前の四分の一にすぎない。

 月額九百二十ドルの薬代。千五百ドルの家賃。食費や電気、ガス代。子どもの養育費…。「貯蓄も底をついた。今は赤字が膨らむばかり。薬も摂取すべき量の三分の一に抑えている」

 グラムさんはこの二年間、連邦政府から障害者年金が得られるように訴訟を起こしている。認知されると医療費や薬代が無料になるうえ、月額千二百ドルの補償金が得られる。だが、時間がかかるばかりでそのめどはまったくたっていない。

 ブッシュ大統領は、危険を顧みず懸命に救出活動に当たった消防士や警察官、建設労働者らをテロに立ち向かう「ヒーロー(英雄)」とたたえた。

 「罪もない大勢の人々を犠牲にしたテロリストは許せない。でも人間として暮らせるだけの最低限の補償を求めているわれわれの要求に応えようとしない政府はもっと許せない。裏切られた思いだ」。グラムさんは憤りを込めて言った。

 現在、WTC崩壊現場で働いた人たちによる、障害者年金や労働者補償を求める訴訟は約八千件にのぼる。補償が得られぬまま亡くなる患者も少なくない。訴訟の数の多さは、顧みられぬヒーローたちの厳しい現実を示している。


9・11テロ事件の翌日、崩壊した世界貿易センタービル現場で、がれきの撤去作業や生き埋めになった行方不明者を捜す消防隊員や警察官、建設労働者ら。その多くが今、健康障害を訴えている=ニューヨーク市(ジョン・グラムさん撮影)
同時テロから5年の歳月を経て急ピッチで復興が進む世界貿易センター跡地。9月11日の追悼式典には、遺族や同僚ら多くの人々が参列し、犠牲者に思いをはせた(ニューヨーク市)
呼吸を楽にするため気管支拡張剤の入った吸入器を使用するジョン・グラムさん。一日3回、20分。「これを利用しないと一日を過ごすのもきつくて…」(パラマス市)
世界貿易センター近くにある消防署の入り口に設置された追悼記念碑。この消防署で勤務中に殉職した11人の遺影が掲げられていた。消防士の犠牲は343人にのぼる(ニューヨーク市)
グラムさんが使用している薬は20種近く。薬代がかさむ
WTC崩壊現場で働いた作業従事者の健康状態は深刻」と話すスティーブン・レービンさん。「長期的にはがんの増加なども懸念される」(ニューヨーク市)

| 中国新聞TOP | INDEX | NEXT |