2007.06.17
30.  バンデンバーグ空軍基地   MDの拠点 実験に巨費



 街路を抜けると、道路両側には一面緑の野菜畑が広がっていた。ブロッコリー、カリフラワー、レタス…。収穫期を迎えたブロッコリー畑では、メキシコ人たちが取り入れ作業に励んでいた。

 「メキシコ人労働者は安い賃金で働いている。その一方で、丘の向こうのバンデンバーグ空軍基地では、一回で五千万ドル(約六十億円)もの費用がかかる大陸間弾道弾(ICBM)の発射実験や、ミサイル防衛(MD)実験が行われている」。デニス・アペルさん(56)は、メキシコ人たちの働く姿を見つめながら、やるせなさそうに言った。

 カリフォルニア州の太平洋岸にほど近い人口六千人のグァダルーペ市。墓地には十九世紀後半から二十世紀初頭にこの町に移住した日本人の墓も並ぶ。周辺は農業が主産業。農業関連企業などで働く人たちが多いからだろう。町の人口の三人に二人はメキシコ系住民である。うち四割近くは不法滞在者といわれる。

 ■地道に抗議行動

 平和と社会的正義を求める「カトリック・ワーカーズ」の一員として、アペルさんが妻のテンジー・ハナンデスさん(39)と、同州オークランド市からグァダルーペに移り住んだのは一九九六年。健康保険もなく、ぎりぎりの生活を送るメキシコ系住民らを支援するのが第一の目的だった。

 「オークランドでは、死期が近づいたエイズ患者の世話をしていた。でも、妻も私もスペイン語ができるので、この地域で奉仕活動をする方がより役立てると思った。同時に、核や平和問題に関心を持つ人たちも見落としがちなミサイル実験に反対し、この問題に人々の関心を向けたかった」。アペルさんは基地周辺の視察に向かう車中でこう語った。

 バンデンバーグ空軍基地は、もともと陸軍演習場として四一年に使用開始された。そして旧ソ連との宇宙開発競争時代を迎えた五七年に空軍基地に転用され、以来ミサイル実験や人工衛星のロケット発射目的に使われている。南北の長さ五十六キロ、周囲百五十八キロ、面積は広島市の半分に近い約四百平方キロと広い。

 グァダルーペから車を走らせて約二十分。バンデンバーグ基地の正面入り口にさしかかった。アペルさん夫妻ら近郊の市民十数人が毎月第一火曜日に集まり、戦争やミサイル実験に抗議の意思を表す場所だ。

 イラク戦争開戦四日前の二〇〇三年三月十五日(現地時間)には、約六十人が戦争に反対して抗議集会を開いた。このときアペルさんは、知人の医師に採血してもらった自身と妻の血が入ったプラスチック容器を持参。入り口にある基地名をしるした石垣に投げかけて逮捕され、二カ月間刑務所に収監された。

 「イラクで会った人たちのことを思うと、あのときは居ても立ってもいられなかった。地上で起きる惨状を目撃することもなく、命令を受けた兵士たちが戦闘機やミサイルで攻撃を加える。その攻撃で血を流して死傷するイラク人に思いをはせてほしかった」と振り返る。

 彼がイラクを訪問したのは九八年。元米司法長官のラムディ・クラークさんら約八十人の平和使節団に加わり、五・六トンの医薬品をバグダッドなどの病院に届けた。九一年の湾岸戦争後も、米国などの経済制裁下にあったイラクでは、薬品不足が恒常化。栄養失調や米英両軍が大量に使用した劣化ウラン弾による影響などが重なって、特に子どもたちの命が多数失われていた。

 「病院を訪ね、白血病などのがんにかかった子どもたちや、付き添う親たちを前に、アメリカ人として掛ける言葉もなかった。あらためて戦争の罪深さを知った。サダム・フセインが独裁者だからといって、戦争を起こして再び罪もない多数のイラク人を犠牲にする権利はアメリカ人にはない。石油のため、となればなおさらだ」

 アペルさんの思いはよく理解できた。私も二年後の二〇〇〇年にイラクを訪問。劣化ウラン弾が多量に使用された南部を中心に取材し、病院などで悲惨な状況を目撃していたからだ。

 「ブッシュ大統領ら戦争を始めた政治指導者の責任は、国際法廷で裁かれるべきほどに大きい」と彼は言う。侵略戦争に「加担」しながら、同時に「犠牲者」でもあるアメリカ兵には「過ったイラク戦争に協力しないように呼びかけ続けている」とも。

 ■1850回も打ち上げ

 車はやがて基地南端に隣接する、太平洋に面した公園に着いた。美しい海岸線の向こうに、ロケットの発射台が数基望めた。スペースシャトル打ち上げのフロリダ州ケネディー宇宙センターと違って、ここからは地球軌道に載せる商業用や軍事用の衛星が打ち上げられる。

 「見ての通り。大海が広がるここは、障害物がなくてロケットやミサイルの発射に最適の地、というわけだ。むろん、ミサイルは基地北端の地下格納庫から発射される」

 四十分ほど丘を登れば、遠くに格納庫を見ることも可能だという。「ぜひこの目で見たい」と、アペルさんにあらためて案内を請う。昼食後、車で近くまで行き、そこから歩いて頂上を目指した。幅約一・五メートルのかなり急な坂道。念のためカメラはリュックサックに入れ、ハイキングでもしている格好で歩く。

 標高約百八十メートル。頂上付近に近づくと、汗ばむ体にさわやかな風が吹き抜けていった。やがてアペルさんが「ここへ来てごらん。ほら、山の谷あいに見える鉄塔のあるところが格納庫だよ」と眼下を指さした。海岸のそばに確かに格納庫らしきものは見えた。カメラを取り出しシャッターを切る。さらに高い位置に上ると、鉄塔に向かって舗装道路が敷設されているのが確認できた。

 「ここは基地最北端の格納庫だ。この近くに五カ所、さらに南に寄ったところに九カ所の格納庫がある。実験のためにコロラド州やワイオミング州などに実戦配備されているICBMのミニットマン3がトレーラーでこの基地へ運ばれる。もちろん核弾頭をはずしてね。実験のときは模擬弾を搭載して発射するんだ」

 ミニットマンの長さは約十八メートル、直径約一・九メートル、重さ約三・四トン。通常、発射されたミニットマンは、約二十分で七千七百キロ先の攻撃目標であるマーシャル諸島のクウェゼリン環礁近くに着弾する。

 五七年以来、ミサイルとロケットが打ち上げられた回数は、合わせて千八百五十回以上。今でも年七―九回は、ミサイルの発射実験が繰り返されている。「ここ数年はミサイル防衛のための発射実験に力点が置かれるようになった。アラスカの基地から模擬核弾頭を搭載したミサイルを発射し、ここから迎撃ミサイルを飛ばして大気圏外で弾頭を撃ち落とすというわけだ」

 米ミサイル防衛局によると、これまでに十回の実験を実施。うち成功したのは五回。「成功といっても撃墜できるようにデータを組み込んでの実験。現実とは大違いだよ」とアペルさんは強調する。

 ミニットマン3の秒速は約六・六キロ。迎撃されないために表面をアルミニウムで覆った「マイラー」(プラスチックの一種)の気球をおとりに使えば、どれが本当の核弾頭か見分けがつかない。ましてや同時に何十発ものミサイルが発射されれば防ぎようがない。

 ■新たな軍拡競争

バンデンバーグ空軍基地と
ミサイル実験
 現在、米中部を中心に実戦配備されている大陸間弾道弾(ICBM)はミニットマン3のみである。この基地で定期的に実施されている発射実験は、単に配備中のミニットマンが確実に作動し、標的を攻撃できるかという確認だけではない。実験を通じてデータを得て、ミニットマン自体の近代化を図るとともに、次世代型の地上配備戦略ミサイルの開発計画にも取り組んでいる。

 地上用のミサイル防衛(MD)実験は、これまでバンデンバーグ基地から標的用ミサイルを発射、マーシャル諸島のクウェゼリン基地から迎撃用ミサイルを打ち上げてきた。今なお実験途上だが、すでにバンデンバーグ基地とアラスカのグリーリ基地には第一段階の実戦用迎撃ミサイルが配備されている。

 バンデンバーグは半世紀に及ぶミサイル、衛星ロケット発射基地として使用されることで、ミサイル追跡のための高度なレーダーや衛星操作のための装置を完備。衛星利用測位システム(GPS)誘導爆弾など、イラク戦争やアフガニスタン戦争にも日常的に利用されている。一方、基地内や周辺では、発射時のロケット燃料に含まれる化学物質による環境や人体への影響が懸念されている。
 「結局、完成することのない実験を続けることにしかならない。イランや北朝鮮のような『ならず者』国家に向けての対策だとしながら、実際はロシアや中国に警戒心を抱かせるだけ。すでに両国は攻撃力を強めるためにミサイルの性能向上に取り組んでおり、新たな軍拡競争を招いている」

 ミサイル防衛の実験には一回で少なくとも八千五百万ドル(約百二億円)はかかるという。「ミサイル防衛は結局、軍需産業を潤すためにあるようなものだよ」

 アペルさんの指摘は、半世紀近く前に「軍産複合体の危険」に警鐘を鳴らしたドワイト・アイゼンハワー米大統領の辞任演説(六一年一月)を思い出させた。とどまることを知らないミサイルや核兵器の開発は、大統領の言葉を裏づける象徴的な事例なのだろう。

 午後三時すぎ、民家を借り上げたグァダルーペの事務所へ戻る。アペルさんは、毎週木曜午後四時半から開く無料診療の準備にかかった。医師も看護師もボランティアで、医療保険のないメキシコ人たちの診療に当たる。この日不在の妻の分まで働く彼は、患者の応対に休む間もない。約二十人の診察・治療が終わると九時半を回っていた。

 「助けを必要とするメキシコ人を援助するのも、ミサイルの開発・実験に反対するのも私や妻にとっては同じこと。戦争を否定し、戦争準備にかける費用を、人の命を救い、貧困をなくすことに充てるべきだ。国籍は問題ではない」

 食事の提供、英会話教室、医療支援…。アペル夫妻の活動とつましい生活を支えるのは、友人や知人約二十人の寄付である。「国家」よりも、「個」としての人間の価値を優先した夫妻の生きざまに、戦争や紛争を解決するヒントが隠されているようである。


太平洋に面して設置された基地内のミサイル発射格納庫(鉄塔の立つ位置)。大陸間弾道ミサイル発射の際は、約8キロ離れたグァダルーペ市の家々が地震のときのように揺れるという(バンデンバーグ空軍基地) バンデンバーグ空軍基地の正面入り口。基地内では兵士や政府の契約企業関係者、民間人ら多くが働いている(グァダルーペ市近郊)
カトリック・ワーカーズの事務所の一室で、メキシコ人女性(左)の足の傷を治療する医師(右)。中央はデニス・アペルさん。治療だけでなく、生活相談の場にもなっている(グァダルーペ市) ブロッコリーを収穫するメキシコ人労働者。植え付けから収穫までメキシコ人の労働力がカリフォルニアの農業を支える (グァダルーぺ市)

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