団地が危ない 6・29豪雨災害(上)/広島

'99/7/15 朝刊

 ◆山へ拡大 安全策に遅れ 開発の影

 六月二十九日の集中豪雨災害は、中国地方で死者、行方不明者三 十六人を出した。中でも、死者二十人を数え、七人が亡くなった一 九六五(昭和四十)年の水害以来の大惨事となった広島市では、郊 外の住宅団地の被害が目立った。「6・29」を振り返り、団地の危 うさを考える。

 ▽「すぐに近くにがけ」

 北側に山を抱いた住宅団地の先端に、土石流が襲いかかった。一 軒は十メートル以上横滑りし、ほかの家に寄りかかって止まった。 主婦一人が帰らぬ人となった。

 広島市安佐南区伴東一丁目。団地群がひしめく安川沿いの高台の 一角に、瀬戸内ハイツ(四百七十四戸)はある。土石流が起きた現 場は、被災地から約三百m北側のがけ。広島県内に四千九百三十カ 所ある「土石流危険渓流」の一つだった。

 「こんな危ないがけが近くにあったとは…」と、二年前から住む 会社員金城盛人さん(43)は驚く。「家と言えば一生の買い物なの に、業者はあえて危険性には触れない。その分、行政がきちんと安 全性をチェックしてくれなくては困る」と憤る。

 ▽不安をよそに造成

 被災地には、もともとため池があった。田が減って農業用水がい らなくなり、十三年前に埋め立てられた。同ハイツ自治会の寺田熹 (あきら)会長(68)は「水がたまる所だっただけに、大雨が降った ら危ないと思っていた」と振り返る。そんな不安をよそに、そこが 宅地として造成されたのは三年前。団地は山へと拡大した。

 崩れた土砂に押しつぶされ、職員一人が亡くなった佐伯区八幡が 丘二丁目の障害者施設「佐伯明星園」。三基のダムを土砂や倒木が 乗り越え、家々を壊した観音台三丁目。いずれも既存の団地が、山 に向かって広がった最先端、という点で共通している。

 瀬戸内ハイツの開発に携わった開発会社社長(56)は「犠牲者が出 たことに胸が痛む」としながら、「災害は予想もできなかったし、 崩れた土地は他人のもの。防災工事をする必要はなかった」と話 す。

 ▽「安全確保が前提」

 災害防止の観点から、宅地開発を規制するのが宅地造成等規正法 である。その趣旨は、盛り土や擁壁の工事を通じ、大雨などの影響 が下流に及ぶのを防ぐことにある。「開発区域内の安全性が基準に 見合えば、許可せざるを得ない」と広島市宅地開発指導課の久保徹 雄課長。開発区域の外からの土砂流入は、法律の想定外というわけ だ。

 堰(えん)堤建設など上流の開発区域外の防災対策は、法的裏付 けのない行政指導で、業者に「お願い」するしかない実態が浮かび 上がる。その上、上流部の地権者の同意も得なくては行けない。広 島市の森林のほぼ八割が私有林である。久保課長は「こちらも地権 者に『お願い指導』しかない」と、現行の法制度で防災対策を施す 難しさを指摘する。

 災害直後の三十日、被災地を視察した関谷勝嗣建設相は、「今後 は最低限の安全を確保しない限り、宅地造成を制限すべきではない か」と述べ、省内に土砂災害対策のプロジェクトチームを設置し た。災害が起きてやっと、宅地開発に対する規制の不十分さを認め た格好だ。

 広島市内には五ヘクタール以上の住宅団地が、約百五十カ所ある。「もう ここには住めない」。団地を去る被災者も出始めている。

【写真説明】瀬戸内ハイツ最上部の被災地。土石流が真新しい住宅を押し流した(6月30日午前8時45分、、広島市安佐南区伴東1丁目)


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