
雨よけテントの下で遺骨発掘作業が進む。
島民がはけで土を払いながら1体ずつ丁寧に拾い上げる。59年間の眠りから覚めた骨は茶褐色でもろい
(6月25日)
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はけを使い、遺品から土を取り除く市職員。出土したばかりの遺骨は白布に並べた
(6月24日)
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7月14日に見つかった定期券か何かのカード。中央に「特別観覧」、左下に小さく「有効期間」「昭和」、右下に「日限り」の文字が並ぶ
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発掘作業に携わる複数の島民は「遺骨が出る日は、土から独特のにおいがたちのぼる」と言う。被爆五十九年。非業の死をとげた被爆者の無念が、大地に染み込んでいるからだろうか。
広島市南区の似島。市が進める原爆死没者の遺骨発掘現場は、鎮魂の思いに包まれている。
頭蓋(ずがい)骨、大腿(だいたい)骨、粉々に砕けた骨片。二十人近い作業員は全員が島の人たちだ。はけを使って土を払い、そっと骨を掘り出す。炎天下の汗だくの作業。立ち会う市職員とともに遺骨を一体分ずつ並べ、ひつぎに納めていく。
バックルやボタン、腕時計などの遺品も交じる。最も近くにあった遺骨を包む白布に、その品名を書き、身元判明につながる手がかりを待つ。
市から調査を請け負い、作業員を統括する地元土木会社の住田吉勝社長(52)は、現場に慰霊の石碑を建てた。
東広島市の佐藤月子さん(64)は今月七日、その石碑に水を手向けた。爆心地から約七百メートルの西地方町(中区)で被爆した母の上野ム子(むね)さんは三日後、似島に運ばれる途中に息を引き取ったという。二十八歳だった。「母の骨は戻って来ませんでした。でも島でお参りでき、気持ちが落ち着いたように思います」
宇品の沖約四キロに浮かぶ似島。五月末の調査開始以来、これまで推定六十二体の遺骨が掘り出された。発掘は今月下旬まで続く。終了後、遺骨は五十九年ぶりに海を渡り、平和記念公園(中区)の原爆供養塔に納められる。
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