四百年近い歴史を持つ国の名勝「縮景園」(広島市中区)は中国地方を代表する名園である。今は深緑に覆われ、静かさをたたえる庭園も六十年前のあの日、木々は焼き尽くされ、炎に追われた多くの人たちが逃げ込んだ。知られざる縮景園の一面を追った。

「縮景園の8・6」
1:秘密部隊 |  2:被爆イチョウ |  3:遺族の思い |  4:石柱漂流 |  5:家元の祈り

 被爆イチョウ


  爆風と炎に負けず成長

 
 正門から京橋川に向かって園内を二百メートルほど歩くと、大きなイチョウに出合う。高さ十七メートル、根元付近の幹回りは優に四メートル。樹齢二百年といわれる木が周りの木々と違うのは、まるで爆心地を指すように大きく傾いていることだ。

 あの日―。原爆の猛烈な爆風が吹き過ぎた後、今度は気圧が低くなった爆心地に向かって周囲からすさまじい勢いで風が吹き返した。イチョウはその風を受けて今の姿になった。

 数千本といわれた園内の樹木は一瞬にして炎に包まれた。再び芽吹いた木は数えるほど…。二十四年前から庭園技師を務める梅田雅幸さん(54)は、先輩から口づてに聞いてきた。

 一九九六年、イチョウはほかの木とともに市の被爆樹木に登録された。今は二本のワイヤで支えられている。「枝は絶対に切りません。これからもずっと生き続けてもらいたい」。梅田さんは老イチョウを見守る。

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