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61年、やっと同じ碑に 広島市女5人 '06/8/6


 ▽遺族ら集い慰霊

 原爆で未来を奪われた少女たちの名前が確かに慰霊碑に刻まれた。広島市内の学校で犠牲者が最も多かった市立第一高等女学校(現舟入高、中区)の銘碑にある五人の誤字が同窓会の手で修正された。「六十一年たって、ようやくみんなと席を並べられたね」。五日、碑前に遺族たちが集った。(岡田浩平)

 「市女原爆慰霊碑」は中区の平和記念公園南の元安川右岸に立つ。銘碑は二基。御影石に埋め込まれたステンレス板に、死亡した計六百七十六人の生徒や職員の名が刻んである。あの日、慰霊碑の近くで建物疎開にあたっていた一、二年生のほぼ全員が直爆死した。

 名前が刻み直されたのは、当時一年の須郷光枝さん、阿戸ハルミさん、木本嘉代子さん、小松晶子さんの四人と、二年の柳沢好江さん。名字や名前が一文字違っていたり、片仮名表記になっていたりしたが、一人ずつ正しい名をステンレスの板に彫り、張り付けた。

 銘碑は一九八五年に建立された。学校に残る原爆犠牲者名簿に基づく遺族会の資料を参考にした。「一年生は入学してわずか四カ月。被爆後の混乱もあり、名前すら正確に記録できなかったんでしょう」。専攻科のときに被爆し、建立の世話にあたった加藤八千代さん(77)=西区=は歴史をゆがめた原爆を嘆く。

 手掛かりは少女の友人や遺族たちだった。「国民学校で仲良しだった木本さんの名前がないのでは」。近くの中村恭子さん(73)が昨年、同窓会に問い合わせた。加藤さんに、連絡が届いたのは今年四月。遺族などから指摘があった四人を含め、「原爆の日」に合わせて修復を終えた。

 阿戸さんの弟、憲爾さん(71)=佐伯区=は建立時に気付いたが、学校に言えずにいた。「死ぬまでには直してもらおうと思っていた。名前しか永く伝えてくれるものはないから」。小松さんのいとこ、俊作さん(63)=中区=も「名前が違い、一緒に苦しんだ友だちと離れ離れの気がしていたかも」と目を閉じた。

 同窓会が遺族の連絡先を把握できているのは二百人ほど。その面影を知る人は年々少なくなる。「これまではどこに帰っていいか分からなかったろう。明日はみんなと一緒に帰ってこられるね」と憲爾さん。六日は碑前で六十一年目の慰霊祭が営まれる。

【写真説明】「61年たって、ようやくそろいましたよ」。張り付けた正しい名前を確認して安心する左から加藤さん、阿戸さん、小松さん、中村さん(撮影・藤井康正)


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