継承者たち

 共有する記憶なく

(2006.7.25)

 梅雨の晴れ間が広がった日曜日の朝、JR三原駅北口に立つ「原爆死没者慰霊碑」を中年の男女四人が掃き清めていた。

三原市原爆被害者之会の苞山さん(奥)らが建立した慰霊碑を清掃する平木さん(左から2人目)ら二世部会メンバー。「日常できることから取り組んでいきたい」(撮影・田中慎二)

 三原市西野町の主婦平木京子さん(52)は、「普段は仕事や家事に追われ活動ができない。休日にせめて掃除くらいはと思って始めたんです」と説明した。父の苞山(ほうやま)正男さん(77)は「私らが元気なうちに会を引き継ぐ人が出てほしい」と期待を込め、立ち会った。

 苞山さんは「三原市原爆被害者之会」の事務局長。国鉄機関助士として広島で入市被爆し、一九五六年の会結成時からのメンバーでもある。

 七〇年代後半に九百人を超えていた会員は五百人台となった。「八月六日」の広島市の平和記念式典への参列者も年々減り、苞山さんらが奔走して三年前、地元に碑を建立。続いて取り組んだのが「二世部会」づくり。一昨年に発足をみた。

 ■自覚の薄さも

 「戦争・原爆は二度とご免だという気持ちを受け継ぎ、三原の碑を守ってほしい」。一世たちの願いを受け約百五十人が入った。だが本格的に活動しようとしたら、大半は親が名前を書いて寄せていたのが分かった。

 そこで「まずはできることを」と、二世部会員は昨年末から隔月で碑の清掃に取り組む。部会長を務める小学校教諭の亀山弘道さん(59)は「働き盛りの世代ではあるが、被爆二世といっても自覚的な人は案外少ない」ともどかしげに話した。

 被爆体験の身近な継承者である二世の活動組織はどれだけあるのか。

 広島県被団協(坪井直理事長)を構成する地域単位の五十四団体で、組織があるのは七年前にできた三良坂町(三次市)に続き三原、福山、東広島市など八団体にとどまる。広島市内にはない。もう一つの広島県被団協(金子一士理事長)は「被爆二・三世の会」を結成したが、役員は友好団体や労組幹部の兼務。どこも「活動は広がっていない」と認める。

 身をもって「あの日」を体験した一世と違い、二世にはそれぞれの暮らしを超えて共有する強烈な記憶はない。一方、がんなど生活習慣病にかかりやすい世代に差しかかる。

 ■影響は未解明

 広島市南区の放射線影響研究所は、前身の原爆傷害調査委員会時代の四八年から二世の遺伝的な影響の調査を続け、死亡率も追う。非被爆者の子どもとの比較でこれまで統計上の有意差は出ていない。中村典遺伝学部長(59)は「明確な根拠がないだけで断定はしていない。遺伝的調査は少なくともあと二十年は要る」とみる。つまり二世も含めて被爆の実態は今も未解明ということだ。

 二世へのバトンタッチを願う苞山さんだが、遺伝的影響の話になると表情を曇らせた。

 結婚した娘三人のうち二女が肝臓を病んだときは被爆の光景がよみがえり、「やはり関係あるのか」と悩んだ。「心配までは引き継いでほしくない」。胸中は複雑だ。

 長女の平木さんは、一緒に暮らす父が腎臓病治療を続けながら会員や遺族の相談、碑建立の打ち合わせに小型バイクで走り回る姿を見てきた。二世部会の会計係を引き受けてからは、父と被爆体験について話す機会が自然と増えてきた。

 「私の三人の子どもに『平和が大切』と言ってもピンとこないだろうが、家族の歴史として話せば伝わるものはきっとあるはず」。一世たちの運動に触れる中で平木さんたち二世は、継承が未来をもはぐくむ営みと考えるようになった。(編集委員・西本雅実、石川昌義)

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