さだまさしさん(55)の平和コンサート「2007夏広島から」が長崎原爆の日の9日、広島市民球場(中区)であった。8月6日に長崎市で20年間続けた無料ライブの終幕となる、一夜限りのコンサート。「二つの被爆地を音楽で結びたい」という、さださんの情熱を約3万2000人が共有した。
午後五時。約六万人の応募から選ばれたファンがスタンドを二階まで埋め尽くした。さださんは広島東洋カープの赤いユニホーム姿で内野グラウンドの円形舞台に登場した。
背番号50は、市民球場の開設五十周年を意味していた。歌の合間に「ここは広島市民の復興のシンボル。長崎から歌い続けたこの思いを、今日から未来へ、みんなで伝えてほしい」と語りかけた。
「音楽を楽しむことこそ平和」が信念だ。「音楽する空間は意地でも守る」。志を共にする仲間たちが駆け付けた。山崎まさよしさん、BEGIN、加山雄三さんらが現れると、世代を超えて手拍子が広がった。さださんは「凶弾に倒れた伊藤一長市長はいつもコンサートに来てくれていた。今夜も魂は広島にいるはず」と語った。長崎市の看護師三角弥生さん(44)は「これを機会に平和活動を広島市民と一緒にやれたら」と話していた。
「広島の空」「祈り」など、被爆地同士のつながりを意識した自作曲が響く。「大切な人の笑顔を守ろうと言われて、家族の顔を思い浮かべた。さださんの声と身近な語り口は平和を考えるのにぴったり」と中区のパート矢口恵子さん(55)。コンサートは広島市や中国新聞社などが主催した。
さださんは一九八七年からコンサートを続けてきた。「一定の成果は上げた。季節の風物詩のようになってはいけない」と区切りを付けた。(片山明子)
【写真説明】「今夜は20年分のアンコールだ」と熱唱するさだまさしさん(撮影・田中慎二)
    
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