▽太陽の欄干 あせぬ輝き
平和大通り(広島市中区)の元安川に架かる平和大橋。ビルやマンションに明かりがともる午後7時ごろ、乗用車やバスが絶え間なく往来し、歩行者は家路を急ぐ。さまざまな光が交差する街中に、力強く反り返った生命を表す「太陽」の欄干が浮かび上がった。
彫刻家イサム・ノグチが設計し、広島平和記念都市建設法の制定から3年後の1952年に完成した。中学3年だった建築家の錦織亮雄さん(71)=西区=は「特異な欄干はことさら目立った。広島のシンボルになると子ども心に思った」と当時の衝撃を語る。
画期的なつくりの橋は今、老朽化が進み、コンクリートの表面にひび割れが生じている。市は観光客や通勤者による歩道の混雑を解消するため、2014年度に橋の両側に新たな歩行者専用橋を架ける予定だ。
歩道の幅員は、人がようやくすれ違える1・8メートルから7・9メートルへと広がる。錦織さんは「平和記念公園に向かう橋の上で足を止め、復興した街を見つめる人も増えるはずだ」と想像する。
東詰めから元安川上流を眺めると、両岸には樹木が連なり、その先には原爆ドームが見える。足元には、あの日多くの命の火が消えた川が流れている。(写真・高橋洋史、文・迫佳恵)
<メモ>「生と死」をテーマに、平和大通りに架かる二つの橋を、彫刻家イサム・ノグチがデザインした。東側の平和大橋の欄干の末端部分には、太陽をイメージし、球体を半分に切った形にした。西側の西平和大橋はよみの国へ行く船の竜骨を表した。建設をめぐっては、奇抜なデザインや高額な設計料に市民の間では賛否が分かれた。
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【写真説明】<上>ビルや車の明かりをバックに、空に向かって跳ね上がった平和大橋。57年前のデザインも現代の街並みに溶け込み、違和感がない <下>完工式で、神道の儀式を受ける平和大橋(1952年6月3日)
    
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