▽「一度は広島で」式典に初参列
14歳の夏だった。双子の運命を分けた「あの日」を忘れたことはない。広島市出身で山口県被団協会長を務める竹田国康さん(78)=山口市小郡下郷=は、被爆死した弟充稔(みつとし)さんの遺族として、故郷の平和記念式典に初めて参列した。
慰霊碑の前で静かにキクの花を手向けた。「弟に約束しました。体力の続く限り命の尊さを伝えていくって」
山口県内で中学教諭を退いた後、毎年8月6日は県内の慰霊行事に参加してきた。「一度は広島の式典で弟を慰霊したい」。県被団協会長の後継も決まり、県の遺族代表として参列がかなった。
顔もよく似て、何をするにも一緒だった「くにちゃん」と「みっちゃん」。6日、広島二中(現観音高)の2年だった竹田さんは、広島駅北側の練兵場で被爆した。
一方、充稔さんは病気で1年休学し修道中1年だった。広島市土手町(現南区比治山町)の親類宅へ向かっていた。被爆したのが途中なのか、たどり着いた後なのか、分かっていない。
全身大やけどを負いながらも、充稔さんは霞町(南区)の自宅まで帰ってきた。痛みを和らげるため、竹田さんがうちわで風を送ると、うわごとのように「お母さん。すみません」とつぶやいた。療養で移った県北の親類宅で約2カ月後、竹田さんの手を握ったまま「死にたくない」と言い残して亡くなった。
若い世代に体験を語っている。「被爆の実相を知らない人に、無差別に命を奪う核兵器の恐ろしさを証言することこそ、弟の供養になる」と竹田さん。64年目の原爆の日を迎えたヒロシマの空を仰いだ。(野田華奈子)
【写真説明】初めて参列した平和記念式典の後、被爆死した双子の弟を悼んで手を合わせる竹田さん
    
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