戦時中、広島陸軍病院の軍医だった日本被団協中央相談所の前理事長、肥田舜太郎さん(92)=さいたま市=が6日、病院跡地近くの川辺で、基町小(広島市中区)の全校児童約140人に原爆の恐ろしさを語った。
肥田さんは、原爆が落とされた時、戸坂村(東区)に往診中で、病院に戻れず、戸坂国民学校で救護活動にあたった。「上着はどろどろで、大やけどをした人ばかり」と原爆の熱線のすさまじさを振り返った。
戦後、首都圏で約6千人の被爆者医療に携わった経験から、放射線の影響について「働こうとしても体がだるくなる」と説明した。「偉い人が何を言おうと、核兵器だけは持とうとしない大人になって」と呼び掛けた。
5年陰岩ニコ君(10)は「『自分たちが核兵器を作ったら、相手も作る』という肥田さんの言葉を絶対に忘れない」と話していた。
肥田さんは1979年に就任した同相談所理事長を6月に退任した。陸軍病院跡地近くにある同小が講師を依頼した。肥田さんは7日午後7時から、まちづくり市民交流プラザ(中区)で、内部被曝(ひばく)をテーマに講演する。無料。(水川恭輔)
【写真説明】基町小の児童に原爆の悲惨さを説明する肥田さん(左端)
    
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