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'99.6.8 |
被爆半年後の広島 長崎含め53枚 前例無い構図
写真はいずれも白黒で、大きさは縦二十四センチ、横三十一センチ。左端がナイロン製の糸でとじられ、「原子爆弾」のタイトルが付く。広島関連分では、下村時計店(中区本通)前を歩く子どもたちの姿をとらえたものや、白神社(中区中町)と隣接の旧国泰寺(同)が大きく写ったもの、戦後に消えた富士見橋(中区富士見町)を地上から撮ったものなどが含まれている。 原爆資料館が今春発刊した図録「ヒロシマを世界に」の監修に当たるなど被爆写真に詳しい写真家の井手三千男さん(58)=広島市安佐北区安佐町後山=は「一連の写真は、従来と同じような場所を写しても、カットがまったく違う。被爆の映像記録に新たな価値を加えるものだ」と指摘する。 ハーバートさんは被爆写真のほかに、宮島を表紙に配し、呉や東京など他都市の破壊状況をまとめた「戦略空爆」、敗北の中から立ち上がる人々の暮らしぶりにスポットを当てた「民衆」の二巻も残している。全体の共通タイトルは「敗北の日本」。三巻合わせて約二百三十枚あり、随所に短い文章が挿入されている。 写真集についてハーバートさんは、晩年になりこう記している。「アンダーソン将軍から特に広島、長崎を強調しながら、大統領に対してわれわれの旅に関する完全なリポートを書くように命令を受けた。(略)。それから数週間のうちに、日本への米戦略爆撃のハイライトとなるような写真と文章からなる三巻のリポートをまとめた」と。 父の死後、写真集を保管するレスリーさんは「父は除隊後、ニューヨークでテレビプロデューサーをしながら、自分が撮影したカラーの映像フィルムの公開をトルーマン大統領らに求め続けてきた。自分がひそかに所有していた写真を公表することで映像の公開の遅れや、写真そのものが没収かねないと恐れていたようだ」と話している。
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