99/2/28

ヒロシマの記録−遺影は語る  広島市女2年





=記録提供お願いします=


 中国新聞社は、人類史上初めて核兵器の犠牲になったヒロシマの原爆死没者の被災記録を、町内や学校、職場ごとに掘り起こし、二十一世紀につながる被爆体験の継承 と平和発信を目指します。

 一九四五(昭和二十)年八月六日、広島デルタの上空五百八十mでさく裂した原爆により、広島市の推計で十三万―十五万人が同年末までに亡くなりました。施行五十周年を迎えた広島平和記念都市建設法に基づき、平和記念公園となった旧中島地区の爆心地一帯では、住民をはじめ建物疎開作業に動員された地域・職域義勇隊、学徒の大半が即死。今も、だれが、どのように、何人が亡くなったのか、解明されていません。

 原爆の人間的悲惨さを原点に、ヒロシマを記録し続ける中国新聞社は、これまでに原爆ドームを残して消えた猿楽町の死没者百四十四人の被災状況と、百十七人の遺影を確認。二〇〇二年、平和記念公園内に開館する国の追悼平和祈念館の建設場所となる天神町北組と、南隣の天神町南組の犠牲者二百五十五人(うち遺影は二百一人)を突き止め、紙面に掲載してきました。

 今後は、旧中島地区の中島本町、材木町、元柳町、中島新町、木挽町の住民や、動員作業中に亡くなった広島市女一年、広島二中、県工、市立造船工業などの生徒、芸備(広島)銀行など企業の職員について被災状況を追跡します。遺族や関係者の協力と記録提供をお願いします。

 連絡・問い合わせは、
編集局報道センター「ヒロシマの記録−遺影は語る」
担当 電話082(236)2257 中国新聞社



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