「原爆は悪」 米国民に刻む
被爆者 多彩な活動
軍縮の道筋は見えず
【ニューヨーク6日宮崎智三】核拡散防止条約(NPT)再検討会議に被爆地の声を反映させようと、会場の国連本部を訪れていた広島、長崎の被爆者や市長たちの活動が、六日でほぼ一段落した。原爆展や被爆体験の証言、パレードや集会参加など多彩な活動を通じ、「原爆は絶対悪」だと多くの人の心に刻んだ。だが、再検討会議の議論を核軍縮促進へと導けるのかどうか。その行方はまだ見えない。
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原爆展の会場を見る伊藤市長(中央)、右へ順に坪井さん、秋葉市長(4日、国連本部)
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広島からの約百人を含め、ニューヨークで活動した被爆者や日本の市民団体メンバーは総勢千人を超えた。
奮闘したのが被爆者たち。日本被団協によると、国連での会議としては一九八二年の第二回軍縮特別総会と並ぶ過去最大規模の約四十人が参加。原爆展を主催し、ニューヨーク市内の大学や高校などでの被爆証言は三十カ所近くに上った。メディアへの出演も相次いだ。
「満点ではないが合格点」と日本被団協の坪井直代表委員。滞在中に八十歳を迎え、一時は疲れからホテルで休む場面もあったが、被爆体験に耳を傾ける人々の熱意に手ごたえを覚えたという。
ただ、肝心の再検討会議の政府代表に伝わったかどうか。四日、秋葉忠利広島市長や伊藤一長長崎市長が総会議場で演説した際には、昼休み時間帯と重なったこともあって、最後まで聞いていたのは約百九十のNPT加盟国のうち三十カ国程度。米国など核保有国は次々と席を立った。
二〇二〇年までの核兵器廃絶を求める平和市長会議の訴えに、再検討会議の政府代表(非核保有国)の間では「人道主義に沿い、インパクトが強い」などと評価する声もある。しかし、核軍縮に否定的な超大国・米国の姿勢が変わらない限り、多国間交渉の力学で左右される再検討会議の先行きへの悲観的な見通しは消えない。
日本の参加者は六日までに大半が帰国の途に着いた。ただ、十一日には再検討会議の場で日本被団協の小西悟事務局次長らがスピーチ。原爆展も会議終了まで続く。被爆地が会場にまいた種がどう育つかは、核保有国と対峙(たいじ)する非核保有国の奮闘にかかると言えそうだ。
(2005.5.7)