「ナリン」のメンバーが撮影したカプスチンヤール核実験場周辺の 先天性障害の子どもたち(カケン・クビシノフさん提供)
「周辺住民の健康への悪影響は長く続くだろう」と懸念するビクト ル・キヤンスキーさん(ウラリスク市)

中国新聞

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21世紀 核時代 負の遺産


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 先天性障害やがん多発 

「見捨てられてきたカプスチンヤール核実験によるヒバクシ ャ支援のために余生をささげたい」と話すカケン・クビシノフさん (ウラリスク市)
 「足が曲がって目も見えないこの子は、マルコフちゃん。ウルダ 生まれで九歳。左腕が途中からないこの子は、メンデシュフちゃ ん。ウルジンスキー生まれで八歳。足も腕も曲がったままで寝たき りのこの子はマリカちゃん…」 下へつづく >>

















 西カザフスタン州の州議会議員で、核被害者支援市民団体「ナリ ン」代表のカケン・クビシノフさん(70)は、先天性障害の子どもた ちの写真を示しながら説明を続けた。

 州都ウラリスク市の市警本部三階にある州議会議員事務所。一つ のキャビネットには、百五十枚を超す先天性障害者の写真をはじ め、クビシノフさんがカザフスタン独立翌年の一九九二年以来収集 してきた、カプスチンヤール核実験場での核実験やヒバクシャに関 するデータが詰まっていた。
 


 「旧ソ連のポリゴン(核実験場)で知られているのは、セミパラ チンスクや北極海に近いノバヤゼムリャ島ぐらいなもの。カプスチ ンヤールと言っても、名前を聞いたこともなければ、どこにあるか も知らない人がほとんど。セミパラチンスクと同じように、がんの 多発や先天性障害など多くの被害者がいるのだが…」

 クビシノフさんは、机に並べた写真を片づけながら無念そうに言 った。そして今度は、カプスチンヤール核実験場を示す一枚の手製 の地図を広げた。

 「ポリゴンの面積は、西カザフスタン州とアトラウ州を合わせて 約三万平方キロ。カスピ海から約二百キロ北の砂漠地帯に東西に長 く延びている。大気圏核実験やロケットの発射、軍事演習も行われ た多目的の軍事演習場みたいなものだ」

 その実験場の西端から西へ約十キロ離れた所に、この地域では一 番大きなウルダという村があった。人口一万人余。クビシノフさん の出身地である。彼は大気圏内・圏外での核実験がなお続いていた 六二年まで、村で過ごした。

 「演習場の中で何かが行われていたことは知っていても、核実験 なんてだれも思わなかった。だから多くの者が病気になっても、な ぜそうなるのか分からないで諦(あきら)めるしかなかった」と、 クビシノフさんは振り返る。

 彼はその後、家族とともにウラリスクに出て警察官として二十八 年間勤務。年金生活を迎えた九一年末にはソ連が崩壊し、西カザフ スタンでも核実験が行われたとの情報が少しずつ明らかになり始め た。

 「実際に何が起きたのか、その事実を知りたい」―クビシノフさ んの内部で、三十年間消えることのなかった疑念が膨らんだ。
 


 そこには個人的な体験も重なっていた。三人の子どものうち、六 〇年にウルダ村の近くで生まれた長男(41)は、腎臓(じんぞう)が一つ しかなく、ウラリスクに住む今も、病弱である。

 「息子の病気や、大勢の周辺住民の健康被害と核実験は関係して いるのではないか…」。そんな思いに駆られて、カプスチンヤール 核実験についての情報を公開するよう、九二年に初めてモスクワへ 手紙を書いた。

 だが、ロシア政府は公開を渋った。何度も要請の手紙を書くうち に、彼の元に四回分の大気圏核実験データが送られてきた。さらに カザフ政府の後押しもあって、八回分が追加された。

 しかし、そのうちの二回分はほぼ同じ内容だった。「結局、分か ったのはカプスチンヤールで十一回の大気圏内と圏外の核実験が実 施されたということと、十回分の威力や爆発高度などだ。なぜか、 一回分だけはそれすら分からない」

 クビシノフさんによると、最初の実験が実施されたのは五七年一 月。爆発規模は十キロトンで、爆撃機から投下された爆発地点は地上 十三・七キロ。最後は六二年十一月で、規模は三百キロトン。ミサイ ルで発射された爆発地点は高度五十キロである。

 「セミパラチンスクでの実験は、原爆や水爆の威力や性質を知る ためのものだった。ここでは、爆撃機からの投下など実戦を想定し ての訓練だった。敵の偵察衛星を破壊するような実験までやってい るよ」

 ロシア政府が公開したデータから分かるのは、これだけである。

 広大な実験場のどの辺りの上空で爆発させたのか。爆発時の放射 性降下物はどの程度の量で、どこへ降りそそいだのか。なぜ一回分 のデータを明らかにしないのか…。クビシノフさんには「分かって いても、都合の悪い情報は公表しない」と映って仕方がない。

 「ロシア政府は『上空で爆発させているから人体に影響はない』 と主張している。地上で死の灰を浴びた者のことなどおかまいなし だよ。十一回という回数だって、本当はもっと多かったかもしれな いんだ」

 「安全保障」の名の下、人も動物も植物も一切の生態系を無視し て核実験を行い、問題だけを残してカザフの地から去ったロシア政 府。クビシノフさんのモスクワに対する不信の根は深い。
 


 彼との取材に先立ち、化学者のビクトル・キヤンスキー博士(54) に、ウラリスク市内の職場で会った。九二年の「ナリン」誕生以来 の科学アドバイザーである。西カザフスタン州の食品衛生管理研究 所に勤める博士は、大学教授時代の九七年、カザフの核物理学者と 医師の専門家三人で、カプスチンヤール核実験の影響について一年 がかりで調査していた。

 「国連の財政支援があってね。最初は実験場や周辺をヘリコプタ ーで飛んで、残留放射能の強い所を探した。そんな場所を選んでか ら地上に降りて、さらに詳しい調査をした」。恰幅(かっぷく)の いいキヤンスキーさんは、女性職員らが持ち込む用事をてきぱきと さばきながら、早口で言った。

 最も残留放射能の強い所で、この辺りの自然放射線量(約十マイ クロレントゲン)の三〜四倍。値そのものはそれほど強いものでは なかったという 。

 「しかし、実験からすでに三十年以上がたっての調査。実験のと きの直接的な影響だけでなく、砂漠に降りそそいだ放射性降下物が 強い風で、砂や冬場に乾燥して地表に浮いた塩などと一緒に飛び、 周辺住民の体内に取り込まれた可能性は高い」と強調する。

 さらに、西カザフスタン州境から南へ約七十キロのアトラウ州ア ズギール村の近くでは、六六年から七九年にかけ、十七回の「平和 目的」の地下核実験が実施された。それによる放射能漏れも考慮に 入れなければならないという。

 キヤンスキーさんらの調査では、放射線被曝の影響と 同時に「ロケットやミサイル発射に伴う液体燃料などによる化学汚 染の影響も無視できない」とする。二つの要素が複合的に作用し て、実験場周辺住民約十四万人に、がんや気管支障害、貧血、死 産、先天性障害などが多発しているというのだ。

 キヤンスキーさんらの調査結果は、クビシノフさんら「ナリン」 のメンバーを勇気づけた。  出身地の選挙区から、九三年に州議会議員に初当選。以来、ヒバ クシャ支援を訴えてきたクビシノフさん。九九年には彼がイニシア チブを取り、西カザフスタン州の六地区とアトラウ州の二地区を 「核実験により被害を被った環境災害ゾーン」に指定し、住民に補 償するよう自国政府に要求した。

 二〇〇〇年二月には、アルマトイ市でナザルバエフ大統領と会っ て直訴した。「大統領は理解を示してくれた」というクビシノフさ ん。だが、地元の国会議員を通じて提出された法案は二年間据え置 かれたままである。

 「本来ならロシア政府に要求すべき補償だよ。カザフスタンはま だ独立したばかりで財政事情も厳しい。でも、早期の年金支給な ど、せめてセミパラチンスク核実験のヒバクシャと同等の補償は得 たい。こちらでは外国からの援助は何もないのだから…」

 ロシア政府への憤りと自国政府への遠慮がちな要求。海外からの 支援への強い期待―。老紳士の言葉と苦渋に満ちた表情には、今な お見捨てられたままのこの地域のヒバクシャの思いが凝縮されてい た。

 
カプスチンヤール核実験



知られぬ被害 救済遅れる

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