中国新聞社

2000/9/7

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ゴーストタウン(左)
セミパラチンスク核実験場近くの村「チャガン」。かつて実験場に通う軍人のためにつくられ、学校や病院、商店など何でもそろっていた。実験場の閉鎖後、村はゴーストタウンとなった

バザールの活気(右)
食料品から雑貨、衣服まで何でもそろうバザール。現地の人たちの暮らしぶりがうかがえる (セミパラチンスク)

草原の笑顔 「死の灰」が影

カザフ国境の町

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馬とともに
かつてチンギスハンが馬を駆った地であるカザフスタン。子どもたちも見事な手綱さばきを見せ、草原を移動する(ジャケント近郊)



 果てしなく広がる平原、草をはむ羊たちの群れ…。広島大原爆放射能医学研究所(広島市南区)と市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」でつくるセミパラチンスク訪問団に加わり、カザフスタン東部のロシア、中国国境付近を車で縦断した。草原の民は広い空の下、緩やかな時の流れに生きていた。

 カザフスタン最大の都市アルマトイから北へ。道は舗装されているが凸凹が多く、車体が激しく上下に揺れる。放牧された羊や牛が時折道路を横断し、一行の行く手を阻んだ。

 家畜を追って移動を繰り返す遊牧民だったカザフの人々。かつてチンギスハンが馬を駆った地。定住が進んだ今も、馬との暮らしを大切にする。子どもたちも見事な手綱さばきを見せる。

 道中で出会ったカザフ人は、顔つきが驚くほど日本人とよく似ていた。カメラを向けるとみんな笑顔でポーズを取り、物おじなどしない。子どもたちも人懐っこい。ジャルケントの病院で出会った手足に障害がある少年(12)は、何度も写真撮影をねだってきた。将来の夢を尋ねると「サッカーがしたい」と、隣りの友達と顔を見合わせた。

 行く先々で、バザールを訪ねた。雑然と並べられた店舗、肉や果物のにおい、飛び交う掛け声…。都市部に行くほど活気に満ち、人ごみであふれた。市場経済を導入し始めたばかりで、変動する中央アジアのうねりを感じさせた。

 だが、彼らの暮らしには、セミパラチンスク核実験場(ポリゴン)の「死の灰」の影が、今も覆う。隣の中国の核実験の影響も無視できない。辺境の地で静かに暮らす草原の民が背負うには、核時代の「負の遺産」はあまりに重すぎた。彼らの笑顔が、核被害の話に及ぶと決まって曇るのを見て、そう実感した。

城戸収

カザフスタン》1991年に旧ソ連から独立。国土面積は日本の7倍に当たる約272万平方キロメートル。人口は約1495万人(99年現在)。多民族国家で、半数をカザフ人が占める。
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灯ろう流し(左)
カザフ東部の景勝地・アラコル湖。海水浴のにぎわいが消えた8月6日夜、セミパラチンスク ・プロジェクトのメンバーが現地の人たちと一緒に、核兵器廃絶を願って灯ろうを流した

葬儀の男たち(右)
集落の周辺には墓地が点在する。道中、老女の葬儀に出くわした。イスラムのしきたりで参列するのは男だけ(ジャンスグルフ)


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