中国新聞社

2000・5・26

被曝と人間 第5部 放射線 人知の壁
〔3〕低線量

人体影響の解明急務

  ●「疫学では限界」の声も

 「低レベルの放射線は、むしろ健康に良い」。こんな説を深める 研究が、東京都狛江市にある電力中央研究所で続けられている。

 ■少量ならば”良薬”

5月26日
低線量放射線の影響について調べる電力中央研究所の研究者 (東京都狛江市)

 一九八〇年代に米国の学者が提唱した、放射線の「ホルミシス効 果」と呼ばれる学説だ。アルコールやカフェインと同様、大量であ れば毒になるが、少量なら良薬になる、という考えに基づいてい る。

 国内九つの電力会社が設立した同研究所は八八年から、ホルミシ ス効果の確認や検証などを国内外の研究機関と共同で続けてきた。 酒井一夫・生物科学部狛江分室長(45)によると、マウスにいきなり 大量の放射線を浴びせると九〇%程度が死ぬが、あらかじめ低い線 量の放射線を浴びせておいた後に大量に照射すれば死亡率は二〇% 程度にまで下がる。

 マウスでの実験結果をそのまま人間には当てはめられないこと は、酒井分室長も認める。このため、ホルミシス効果は、放射線防 護にはほとんど取り入れられていない。むしろ、今の放射線防護の 考えと真っ向から対立する部分がある。

 現在は、わずかでも放射線を浴びれば、その分、将来の発がんリ スクが高まると考えられている。

 しかし、「この考えは『仮説』に過ぎない」と、低レベル放射線 の影響研究を続けている放射線医学総合研究所(放医研、千葉市稲 毛区)の荻生俊昭総合研究官(55)は指摘する。

 ■世界各国の基準に

 放射線影響研究所(放影研、広島市南区)は半世紀の間、広島と 長崎の原爆被爆者の疫学調査を続けている。その結果は、国際的に 高く評価され、世界各国の放射線防護基準のベースにもなってい る。

 それでも、低線量の人体影響の解明は難しいのが現実だ。高線量 を浴びた被爆者に比べ、がんになる人の割合(リスク)が低く、デ ータを十分そろえて解析するには時間が必要だからだ。

 放影研の清水由紀子疫学部副部長(49)によると、白血病を除く、 がんの死亡率と被曝(ばく)線量が比例していると統計的に確認で きた最低線量は五〇ミリシーベルト。それ以下ではまだ確認できてい ない。

 荻生総合研究官は「疫学的手法には限界がある」と語る。被ばく 線量が低ければ低いほど、たばこや偏食など放射線以外の影響が現 れやすくなり、解析するのが難しくなるためだ。

 四百三十九人もの被ばく者を生んだ東海村臨界事故は、低レベル 放射線の人体影響という問題をあらためて突き付けた。現場で作業 していた三人を除く全員が低線量被ばく者。原爆投下以来、住民を 含む、これほど多くが一度に被ばくしたのは初めてだった。

 ■「絶対視できない」

 広島、長崎の被爆者は、放射線を瞬時に全身に浴びた。これに対 し、核実験場周辺の住民が低レベル放射線を繰り返し浴びるケース や、原発事故で出た放射性物質を飲食物を通して取り込むタイプな ど、被ばくの形態はさまざまだ。こうした面からも「被爆者のデー タは絶対視できない」と広島大原爆放射能医学研究所(原医研)の 元所長横路謙次郎さん(73)は指摘する。

 「ちょっとでも放射線を浴びたらリスクは高まる。理論的にはそ うだが、実証はされていない。原発労働者など世界中で低線量被ば くの機会が増えており、今一番重要な問題だ。二十一世紀最大の課 題と言ってもよい」。放影研の理事長を九七年まで十六年間務めた 重松逸造さん(82)は早急な解明を訴える。


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